月夜のドライブ

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小さきものをいとおしむ体験の貴さ…ケムリ研究室 no.5『サボテンの微笑み』 @ シアタートラム

(※ネタバレがあります)

『ベイジルタウンの女神』『砂の女』『眠くなっちゃった』『ベイジルタウンの女神(再演)』に続く、ケムリ研究室の5作目。2020年の立ち上げから年に1回ほど作品を発表しているのはだいぶハイペースに思える(KERAさんは他にナイロンの公演もプロデュース公演もさらには音楽活動もあるのに!)。今回も速報チラシの段階からとても楽しみにしていてチケットも早くに確保(自分の予定変更で一度そのチケは手放して買い直したのだけれど)。普通にKERAさんのお芝居・ケムリ研究室の新作が楽しみなのに加え、今回については鈴木慶一さんが役者としてキャスティングされているというのもムーンライダーズファンの私にとっては大きすぎるトピック。東京公演の最終週の4/14(火)と4/17(金)の2度、三軒茶屋のシアタートラムへ赴いた。

 

ケムリ研究室 no.5
『サボテンの微笑み』
東京公演:2026/03/29(日) - 2026/04/19(日)
会場:シアタートラム
作・演出:ケラリーノ・サンドロヴィッチ
CAST:緒川たまき 瀬戸康史 瀬戸さおり 清水伸/
赤堀雅秋 萩原聖人/
鈴木慶一
料金 一般:
平日公演 9,800円 トラムシート 8,800円
土日公演 12,000円 トラムシート 9,800円

 

事前のKERAさんのインタビューなどで、今回は「ナイーブな人たちの小さな物語」だと明かされていたけれど、本当にささやかなものばかりでできた舞台だった。普段だったら見過ごしていたり気にも留めなかったり無視していたりするような、小さな小さなできごとや感情のうつろい。芝居に入り込むうちに、そうしたものを丁寧にこまやかに観ることができている自分に、ふと驚くような感じもあった。小さきものを掬いとるまなざしを、KERAさんと役者さんが観客に与えてくれるのだと感じた。

 

例えば学(赤堀雅秋さん)の視線がゆーっくりと動くその行先を観客も同じゆっくりさでたどりながら、その時間の中で学の心に湧き起こる感情の起伏を丁寧に汲み取って笑いに落ちたり、空子(緒川たまきさん)の指先がテーブルの上をなぞる動きを目で追って、その向こう側の言葉にならない気持ちの行ったり来たりに同調してクスクス笑ったり。そういうことが、客席の一人ひとりに起こって、結果として笑いの束になっているのがすごいことだった。今の普段の生活では、あんなに丁寧に人の視線をたどったり指の動きを見つめたり、ましてその時間の中で人の内側にどんな感情が行きかっているかなんて考えることはしない。大正から昭和あたりの時間の流れ方はみなこうだったのかな…。現代とは生活の速度がまるで違ったのかもしれない。大きくて威勢のいい声ばかりが通っていく今の世の中で、こうしたささやかなものの中にある豊饒さを見つめていとおしむ経験がとても貴かった。飛ばし読みや倍速再生では決して受け取れないもの。シアタートラムという、息を詰めて視線や指先の動きを追うことのできる密な空間も、この稀有な演劇体験を支えていた。

 

学と空子の兄妹と、ごく身近な数人とのかかわりのあいだで生まれる物語。そこに、他のどこにもないような表現、名前のつけづらい気持ち、があった。当たり前だけど、できごとや人の感情ってスパッと喜怒哀楽で分けられるわけじゃなくて、ある瞬間に喜が75%哀が25%同時に存在したり、もっと複雑に混ざり合ってたり、次の瞬間にまるごと入れ替わってたり、状況は哀しいのに笑ってたりその逆だったり。そうした何とも名づけづらい複雑怪奇な感情のありようを、赤堀さんと緒川さんが複雑怪奇に演じていた。

 

それにつけても赤堀さんのすばらしさ…!すごく可愛らしくて同時に危なっかしくて、温かく真面目なのにどこか狂気が抑えきれない、(黒髪の外見が赤堀さんに見えない)赤堀さん。彼のお芝居を少ししか観てない私がこんなこと言うのもナンだけれど、『サボテンの微笑み』は役者・赤堀雅秋の代表作になるのではないかしら…。そして緒川たまきさんが、赤堀雅秋さんと同じ意味で(違う意味で、でなく!)「怪優」であった。世間ずれして引っ込み思案で兄同様とても可愛らしいのだけど、奥底に怨念のようなものも感じる空子。これまでのどの役柄とも違う特異さが、たたずまいからも演技からもにじみ出ていて面食らうようだった。意中の人の来訪に、震える手でお茶を出しに来る空子の、思わず笑っちゃう一種異様な姿!今までに思い当たらない緒川さんだった。

 

学と空子の兄妹は、度が過ぎるぐらいに相手のことを大切に思っている。学はいつも空子のことばかりを、空子はいつも学のことばかりを考えている。兄妹の持つ美質を誰よりもよく理解しているから、兄が褒められると空子は天にも昇る心地で狂喜乱舞してしまうし、妹がけなされると学は自分が傷つけられるより深く傷ついて激高してしまう。長くひとつの家の中で築かれたふたりの関係は「仲睦まじい」と言うには距離が近すぎて、後半マユミ(瀬戸さおりさん)に冷たく告げられたように、ちょっと気味の悪ささえある。

 

世間とは隔絶していた兄と妹が、ひょんなことからそれぞれに運命がひらけ、気持ちも生活もキラキラ輝いてくるさまは眩しく微笑ましい。学も空子もてらいなく心を風船のように膨らませ弾ませて、恋ってこんなにも楽しいものかと見せつけてくる。その行動や表情は誰しも経験があることだけに、観客もふたりの恋路を我がことのように応援せずにはいられなくなってしまう。ただし、ふたりがあまりに純真すぎることをいささか危なっかしく思いながら…。どうかこの無垢な心が裏切られることのありませんように…!でもやはりそこはKERAさんと言うべきなのか、学と空子のめいっぱいふくらんだ夢は後半あっけなく破裂してしまう。こんなに愛らしい登場人物にも容赦のない作家なのだKERAさんは…。

 

空子は「私はこの家に根を生やしているわけではない」と鳥羽(萩原聖人さん)に言ったけれど、学と空子はまるで根っこが絡みあっている植物のようだ。一方、気持ちも居場所もすぐに切り替えて軽やかに動ける鳥羽やマユミは、学と空子とは対照的。あんなに学に、空子に、のめり込んでいるように見えたのに、スッと簡単に抜けてどこかへ行ってしまう。根無し草とよく言うけれど、その軽さは学と空子には耐えられないものだろうと思えた。でも近現代は、地縁や血縁から自由になれと、確たる個であれと、人を外へ引きずり出そうとするけれど(私もその考えを当たり前と思っている現代人だけれど)、それが絶対的に正しいことなのだろうか?と思ってしまった。学と空子が心地よい密室に閉じこもるのは、他人に責められるようなことではないのかもしれないと。夢が破綻したあとの大晦日、冒頭の一年前の大晦日と同じように不幸そうで不機嫌そうなラストシーンのふたりは、でも、どこかあるべき場所でほっとしているようにも見える。

 

KERAさんは作品づくりにおいて自己模倣を嫌う人だけれど(すごいことだ)、この『サボテンの微笑み』も、これまでの私が観た限りのKERAさんのどの作品とも違う不思議な後味の作品だった。膨らませに膨らませた兄妹の夢が無惨に破れる残酷な展開は『Don't freak out』をちょっと思い出したけれど(空子とあめが文章や絵に“描かれる”ことを幸福に思うモチーフも!)、あちらが陰鬱なイメージの中に閉じていく重い後味だったのに対して、『サボテンの微笑み』は、ビターとユーモアの配分が今までのどれとも違っているように感じた。なぜだろう、不幸なはずの学と空子がけっこう幸せそうに見えるというか。幸福な未来から見放されて古い屋敷の中で暗い会話をしているふたりに、結局ラストまで笑わされた。悲劇的な結末であるにもかかわらず喜劇的に感じるところがあったのは、演出(例えば学と空子と日乃出が決定的瞬間を見てしまうときの描き方)や、あと赤堀さんの持ち味もあるのだろうか。

 

赤堀さんと緒川さんはもちろんのこと、7人の出演者が全員、ユーモアの卓越した使い手だったのも印象的。とりわけ瀬戸康史さん!あの空気の読めない二枚目のどうしようもなさが最高で、昭和の喜劇のようなドタバタぶりに何度も爆笑させられた。セリフのちょっとした間合いですさまじい笑いを引き起こす、そのコンマ何秒のコントロールがぴたっとできる、おそるべき役者さんだと思う。瀬戸康史さんの実妹である瀬戸さおりさんは、これまで何度か観ていて、すっと屹立するような清新さが印象に残っていた役者さん。今回のマユミという役柄はその意志の強さに絶妙なユーモアが加わってとても魅力的だった。実の兄妹が夫婦役という意外な配役、でも頑固で強がり同士が結局元の鞘に戻ったらしいことも含めて、ふたりのやりとりに同族嫌悪みたいな面白さがあってずっとニヤニヤしてしまった。KERA作品常連の萩原聖人さんは、今回めずらしく悪意や鬱屈のない朗らかな美丈夫。しかしこれほどの伊達男が性格まで良いとなると、こんなにも罪深い存在になってしまうのか…と頭を抱えてしまうようだった!“古い友人の妹”に向ける優しいまなざしや気の利いたしぐさや慈愛に満ちたひと言ひと言が空子に深く刺さって、あとで身を引き裂く凶器になる。こういう人に惹かれたら駄目よ…と心の中で空子に呼びかけつつ、空子と同じように鳥羽に恋して失恋せざるをえなかった…。閉じた関係の中に乱入する部外者としていいスパイスになっていた花屋の野見役の清水伸さん。花屋なのに花を邪険に扱う、ずけずけと無神経な「ザ・世間」の代表。あっけらかんとした無神経さが可笑しかった。自分が大切にしているものを軽々しく踏んづけて歩くのはだいたいこういう悪意のない人で、それが大多数だからどうしようもないんだよな…と、ちょっと今の状況と重ね合わせもしてしまう。そして、我らがムーンライダーズの鈴木慶一さん!私は舞台役者としての彼は初めて観た。なるほど学と空子の父親(幽霊)役。父もまた家族と根っこが絡まって、この屋敷から離れられない人物だ。往時はお金もあって道楽好きで鼻持ちならない強権者だったのだろうけど、幽霊となった今は子どもたちを愛する気持ちだけが寄る辺なく漂っていてどうにも憎めなかった。学の捨てたものを何度も何度も拾ってきては籠からぶちまける姿に、慶一さんの持ち前のチャーミングさがたっぷり発揮されていた。稀有なたたずまいに加えて、声のよさにもあらためて驚く(あのラストの笑い声!)。お人形との会話もめちゃめちゃ味わい深かった。KERAさんならではの着想、KERAさんにしかできないキャスティングだったと思う、とてもとてもよかった。

 

今回は小ささを目指すお芝居で、舞台転換もないワンシチュエーション。この舞台美術が秀逸だった。すみずみまで心地よく美しく、そしてぞっとするようなところもあるセット。曇り硝子の天窓から薄ぼんやりとした光が入るのだけでもずっと眺めていられる。居間の大きな窓の向こうに温室が配置されているのも意表を突き、かつ視覚的にも音響的にも芝居の構造的にも大きな効果をもたらしていた。美しく目に焼きつき、忘れられない。モダンな居間の両側には兄の文机と妹の鏡台が配置されており、居間の真ん中と違ってそこでは学も空子もべたっと床に座るのだけれど、その低い位置にいる学と空子からは急にべっとりとした因習や呪縛や官能みたいなものを感じてしまい、特に空子が鏡台の前に横座りになると不用意にドキドキしてしまうのだった。舞台の温度や匂いや光や微細な色合いまでも客席に届きそうなシアタートラムで観られてこその美術だった。今回スタッフ表のトップに「美術」が掲載されているのも意味があるのだろうと思う。秋山光洋さん、『骨と軽蔑』『Don't freak out』もこの方だったとあとで知る。

 

心に残ったこと、まだまだ尽きない。嬉しいにつけ悲しいにつけ兄妹が手回しする蓄音機のレコードの音。学や鳥羽や日乃出がストーブを点けたり煙草を吸うのにマッチを擦るしぐさひとつひとつ。劇中人物たちの言葉遣い。特に空子のセリフは心地よい音色(おんしょく)としてずっと耳に残っていて、芝居を観たずっと後も“なんちゃって空子コトバ”を自分で使ってみたくてムズムズしている。大がかりなプロジェクションマッピングやステージングがない代わり、7人の出演者が自分の持てる範囲のものだけを出したり引っ込めたり時計の針を回したりして季節と時間の経過をあらわす演出もこじんまりとして美しかった。

 

今回のお芝居に限ったことではないけれど、3時間の中に演劇の喜びが無数に詰まっていた。とりわけ、表現のひだの内側に丁寧に何重にも織り込まれた、ささやかなできごとや人間関係の機微や心情や行動やしぐさや表情のひとつひとつをいとおしむ体験が、こんなにも大きな喜びをもたらすのだということにあらためて驚きもした。演劇の面白さ楽しさは、豊かで無限だな…と思う。赤堀さん緒川さんの熱演に拍手。KERAさん、緒川さん、キャストのみなさん、スタッフのみなさん、素晴らしい作品をありがとうございました。

 

【2026/04/23記】

 

 

ケムリ研究室 no.5
『サボテンの微笑み』

東京公演 2026/03/29(日) - 2026/04/19(日)
会場 シアタートラム
上演時間 約3時間10分(休憩20分含む)
1幕:1時間45分/休憩:20分/2幕:1時間5分
料金 一般:
平日公演 9,800円 トラムシート 8,800円
土日公演 12,000円 トラムシート 9,800円

作・演出:ケラリーノ・サンドロヴィッチ
CAST
緒川たまき 瀬戸康史 瀬戸さおり 清水伸/
赤堀雅秋 萩原聖人/
鈴木慶一
STAFF
美術:秋山光洋 照明:関口裕二 音響:尾林真理 音楽:鈴木光介 衣装:伊藤佐智子 ヘアメイク:谷口ユリエ
演出助手:相田剛志 舞台監督:福澤諭志 松下清永
宣伝美術:雨 千砂子 宣伝撮影:福山楡青 宣伝衣装:伊藤佐智子 宣伝ヘアメイク:谷口ユリエ
宣伝小道具:高津装飾美術 東宝映像美術 東宝舞台 印刷:大熊整美堂
プロデューサー:高橋典子 プロデューサー補:浅見亜希子 制作:瀬藤真央子 重松あかり 家氏里奈子 票券:滑川優里 広報宣伝:北里美織子 
製作:北牧裕幸