月夜のドライブ

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月影番外地『暮らしなずむばかりで』 @ 下北沢ザ・スズナリ

高田聖子さんによるシリーズ公演「月影番外地」の、その7だそう。演劇の聖地、スズナリで。カムカムミニキーナの松村武さん出演というのが観に行くきっかけだったけれど、脚本がピチチ5・ベッド&メイキングスの福原充則さん、演出が木野花さん、って!おもしろそうすぎる!足を運んだのは1/29(日)の千穐楽

 

月影番外地 その7『暮らしなずむばかりで』
2023年1月18日(水)~29日(日)
下北沢ザ・スズナリ
全席指定 ¥6,000(税込)(前売・当日共通)
【作】福原充則  【演出】木野 花
【出演】高田聖子 宍戸美和公 森戸宏明 信川清順 田村健太郎 松村武

 

 

「暮れなずむ」という言葉は知っているけれど、「暮らしなずむ」。聞きなれないので、造語かな、と思ってなずむ、と打つと「泥む」という漢字が出てくる。えっ、こう書くんだ。「1.気にしてそれが心から去らない。拘泥する。」なるほど拘泥の「泥」。「2.とどこおる。はかどらない。」あー。登場人物みんな、ものすごくとどこおってた。途中までは…!

 

物語の中に登場する3人、能見(高田さん)と逆巻(宍戸さん)と庄司(松村さん)は、(たぶん役者自身と等身大の)50代。オープニング、高田聖子さんの静かな語りで描かれる、東京の一角にある架空の「潮見」という場所の救いのなさがリアルだ。(※後註:松村武さんご本人がツイートで「潮見は実際にあります」と教えてくださいました。ほんとだ!失礼いたしました…!)その片隅でひっそりと暮らす能見という女も、その人生も、都会の生活から取りこぼされたように地味そのものだった。ところが、同じように地味で、同じように少し変わったところのある、大家の逆巻や、隣人の庄司と出会ったところから、その人生が大きく(…といっても、感動的な人生ドラマのようにではなく、だいぶねじれてヘンテコな感じに、しかし大きく)変わっていく。

 

見た目地味だけど、ひとたびその深淵を覗きこむとかなりいびつなものを宿している50代を、高田さん、宍戸さん、松村さん、というそれぞれに巧い役者が演じていて、哀しいやら可笑しいやら。仲良くなろうとあだ名をつけ合ってみるもののしっくりこなくて結局ただの名字呼びになる距離感の取れなさ、目立たぬことを心がけながら生活していたのに接点を持った途端過剰に踏み込んでしまう空気の読めなさ、人には言えないような変わった趣味を語るときの周りがヒイてしまうほどの強烈な輝き。どちらかというとメインストリームから外れぎみのまま50代になってしまった私のような者には、心当たりがありすぎて心の中でぶんぶん頷き通しだったし、舞台上の3人に駆け寄って固く握手を交わしたいぐらいだった。でも、スズナリを埋めた観客もみんな身につまされるような様子で泣き笑いしてたのを見ると、スイスイとは生きられずに「暮らしなずんで」いる人、思っている以上に多いのかもしれない、とも思う。

 

しかし、つつましい暮らしの描写からスタートしたこの3人のドラマは、ほのぼのした手のひらサイズのままで終わらず、想定を超えに超えて転がり始める。彼らの住処であるアパートを火事で失ってしまってからの、加速がついて後戻りしなく(「できなく」ではなく!)なっていくさまが凄かった。暮らしなずんでいた50代だったはずなのに、暴発するとこんなにも手が付けられなくなるのかと!

 

なりふり構わず「やりたかったことをやるんだ」と突き進んでいく姿はしびれるほどオモシロカッコよくて、こういう時にこそ使っていいと思うけど「勇気をもらった」なあ。どうしてもやりたかったことが「バク転」とか「腹話術」とか、とことんソレジャナイ感なのもムダに楽しくてワンダホー!八方塞がりの陰鬱な現実から壁を突破しまくる謎のパワーがすごかった!ラストに向けてギアを上げ続けて恐いぐらい加速して、あんな狭いスズナリでいったい私たちどこ行くの?って観客もムリヤリ一緒に連れ出される、先の見えないドキドキ冒険譚!脚本と演出と役者の総力!芝居の中だけでハイおしまい、としておけない何かが現実のほうにあふれ出してきて、もう私もボートに乗ってどこかをめざす!と思った!

 

五十路のクライシス、テーマ的には深刻な展開になりそうなのにどこまでもとぼけた味わいで、楽しい肩すかしにあったような心地だったのは、高田聖子さん、宍戸美和公さん、松村武さん、という、いずれ劣らぬユーモアと知性とセンスを湛える役者さん揃いだったからか。「着地」とか「回収」なんてハナから考えずに遠くへ遠くへと志向し続ける脚本と演出の勇気もすさまじかった。そして、主人公3人以外のすべてを担った役者さん、どう考えてもあと4人はいる(男性3人と女性1人)、と頭の中で数えてたんだけど、森戸宏明さん・田村健太郎さん・信川清順さんの3人だけだった、驚愕。みんなアクが強いのに、アクの強いまんまいろんな役をやっていておもしろかったなあ! 

 

普段は作演出家として感嘆させられることの多い松村武さんの、役者としての絶妙な面白さを隅々まで堪能できたお芝居でもあった。少し話はずれるけど、今回のこの話、昨年末松村さんが客演したラッパ屋の『君に贈るゲーム』とも通ずる部分を感じたな。普段つき合っている人の本当の顔なんて、お互い全然知らないし、それで問題なくやれてしまうものだ。しかしひとたび、それぞれが抱える業の深さに触れると、うまく保たれていたバランスは崩れていく。が、崩れていいのだ。崩れたところから立ち上がる、新たな人間関係を楽しむ力も知恵も、私たちは持っているはずだから。できたら関わりたくないようなそこからこそが、もしかしたら本当に面白いのかもしれないから。

 

楽しかったし、同じ五十路の私にはずんずんキた。芝居が「芝居の時間と空間」を突き破って、現実に雪崩れこんでくる体験。冷笑と諦めに取り囲まれて動けなくなりそうになっても、悪あがきしてもいいかなと思えた。どこへかはわからないけど、「どこかへ!」といつも思っていよう。大丈夫、心の中にはいつも、能見や逆巻や庄司という友だちがいる!