月夜のドライブ

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ナイロン100℃ 48th SESSION『Don't freak out』 @ 下北沢ザ・スズナリ

怖かった。怖かったし、美しくてカッコよかった。事前に「ホラー」と聞いていたけれど、得体のしれない怖さというより、ものすごく生々しく実体と手触りのある、そして(舞台は過去の時代だけれど)今と地続きの怖さ。あからさまに邪悪な人間はひとりも出てこないのに(だからこそ)、内側から生まれるものに浸食されるような、止めようのない怖さ。

 

私はナイロンの古いファンではなく、とはいっても数えてみたら2012年の38th SESSION『百年の秘密』からの本公演はすべて観ているので(そのはるか前2003年にも『ドント・トラスト・オーバー30』と『ハルディン・ホテル』だけ観ているけど)、なんやかやで30年のうち10年は観続けている観客なのだな…と少し驚くのだけれど、もちろんスズナリで観るナイロンは初めて。変な話だけど、ナイロン100℃って小劇場の集団なんだなあと、今回しみじみ感じ入った。30年目の老舗劇団が、スズナリでこんな攻めた芝居を打つなんて、すごいよ。あの場所でそれを体験できてよかった。3/17(金)のマチネーで観劇。

 


ナイロン100℃結成30周年記念公演 第1弾
ナイロン100℃ 48th SESSION『Don't freak out
2023年2月24日(金)※プレビュー公演
2023年2月25日(土)~3月21日(火・祝)
東京都 ザ・スズナリ

2023年3月30日(木)~4月2日(日)
大阪府 近鉄アート館

作・演出:ケラリーノ・サンドロヴィッチ
出演:松永玲子村岡希美 / みのすけ、安澤千草、新谷真弓、廣川三憲、藤田秀世、吉増裕士、小園茉奈、大石将弘 / 松本まりか、尾上寛之、岩谷健司、入江雅人

 


ぎっちぎちに埋まっていく狭い客席。開演前の舞台が客席からこんなに近い距離であることも、建て込みがひと部屋を模したサイズしかないことも、私が知っている近年のナイロンでは新鮮。『KERAさんの舞台なのに階段も中二階もない…!』と思いながら開演を待つ。(実は始まってすぐと、もっとあとで、驚く形で空間は広がってその工夫もすばらしかった。)

 

何しろびっくりしたのは、初っ端の松永玲子さんのセリフの音量の小ささ!観客全員が「え?なんて?」って3cmずつぐらい前のめりになって聞き耳立てたと思う。観客のあいだにピン!とした空気をいきわたらせて一気に芝居の中に連れていく、スズナリならではのなんてあざやかな演出…!そして、あの絶妙な音量をびしっとコントロールできる松永さんの役者としての技術もすごいと感嘆するのだ、あれより少しでも大きくても小さくても、成り立たないと思うから。

 

時代はたぶん戦前で、村岡希美さんと松永玲子さんの姉妹(意外なことに村岡さんのほうが「姉」なのだ!でも終わるころには、それぞれが完全に姉であり妹にしか見えなくなっていた…)は裕福な当主のお屋敷で働く女中で、二人がいる場所は女中部屋で…ということがわかってくる。始まってわりとすぐに、この屋敷が抱えるらしい公然の秘密(地下牢の存在)も明かされてびっくりする。そのいびつな闇をも日常として、いがみ合ったりたまにじゃれ合ったりしながら姉妹は淡々と生活している。

 

姉妹が持つその(使用人の境遇であることだけでは説明のつかない)陰鬱な空気の裏側に、あまりにも深い喪失の経験があることが次第にわかってきて、なんともやるせない気持ちになる。はじめは妹のあめ(松永さん)。セピア色の回想シーンの中で、女中の自分を見初めてくれたカガミ(入江雅人さん)と笑い合うあめがあまりにも屈託なく愛らしいので、彼を喪ったらしい今が、そのぶん重く暗く残酷にうつる。そしてまた、回想の中では主人として快活にふるまい、無聊をかこつ弟をたしなめたりもしていた長男(みのすけさん)が、どうも今は幽閉されているその人であるらしいことも、そして複雑な家族関係も見えてくる。このあたりの、向こうがかすかに透けて見える薄紙を一枚また一枚と剥がしながら本題に迫っていくプロセスがいつもながらのKERAさんの真骨頂で、とりわけ今回、行間の隅々まで配慮の行き届いた上質な純文学を読むようだった。例えばあめが結婚せんとしていたカガミの死も、どうも教え子と心中したようであることが、ぼんやりと遠回しに描かれる。妹のくも(村岡さん)が元当主で今は幽閉されている長男と長く不義の関係にあるらしいことも、シーンやセリフの端々を寄せ集めていって次第にわかる。警官と若い女中の関係も、清お坊ちゃまとクラスメートと父や大奥様との歪な状態も、颯子お嬢様と叔父の根深い異常な関係も、さまざまなことが、(芝居の最初に松永さんのセリフに聞き耳を立てたように)注意を研ぎ澄ましてよく見たり聞いたりしてはじめてわかる繊細さで描かれる。たぶんそれは、このスズナリだからこそつくれる芝居、のトライアルなのだろう。

 

ちりばめられるモチーフからは、地縁と血縁に閉ざされた土地、抗えぬ土俗的な因習、性と猟奇の暗い匂いが漂ってくる。『八つ墓村』(の小説というよりそのモデルになった元の事件)とか、脳病院が舞台となっていることで北杜夫の『楡家の人びと』などを思い出したりもした。

 

後半、死んだカガミと瓜二つのクグツが登場してからの、内部で腐っていたものが表側に破れ出てきてあらゆるものがとめどなく崩壊していくかのような描写が圧巻だった。それは、長男の顔に斑点として現れやがて身体全体を蝕んでいく病とも重なったし、もちろん、感染症におののき続ける今とも通じて、心が冷えるような不気味さだった。

 

喪失の経験から、あれほど注意深く幸せを願わないように願わないようにしてきた姉妹だったのに、やはりあめは心の相手と「一握の砂」を語り合えることを、くもは地下牢の連れ合いと数時間ハイキングに出かけることを、夢見てしまう。心にぽっと点る希望の灯りは、ごくごくささやかなものだけれど日々を彩るには十分で、いっときのあめのはしゃぎっぷりや、くもの控えめに浮き立つ様子は、ほんとうに可愛らしい。ところが姉妹の夢は、そんなにささやかなものであるのに、容赦なくずたずたに踏みにじられる。あめとくもが想像の中で小さな幸せをふくらませる様子は観ている私たちにも経験のあるものだけに、それを失うことで突きつけられる絶望は筆舌に尽くしがたい。これまでも小さな希望が打ち砕かれる厳しい現実をたくさん描いてきたKERA作品だけど、こんなにも残酷だったことがあろうかと思うほどつらい…。

 

でも。あめとくもは強かった。運命の非情に、残忍さで抵抗するかのように。姉妹のその強さに、最後は観る側が救われる。驚くほどの冷酷さで愛した相手を葬り去り、女性としてのささやかな幸せを願った自分さえも葬ってしまう。そして何食わぬ顔で新たな若い当主に仕え、すべてをやり過ごし、たったふたりの空間でだけ、この女中部屋の中でだけ、姉妹でけらけらと笑い合うのだ。姉妹の手のひらにたったひとつ残った、トランプ占いに興じる時間の貴さに気が遠くなるような思いがする。他人にとっては価値のない、ふたりだけのこの時間さえ守れれば、あとはもう何もいらない。ふたりが選んだ、“所有されない魂”の潔い美しさに、ひたすら陰鬱なこの物語のかすかな希望があった気がする。

 


とにかく松永玲子さんと村岡希美さんがすばらしすぎた。ナイロンの女優と言えばまずは犬山イヌコさんと峯村リエさん、その二枚看板という印象があったけれど、いつもは脇を固めることの多い松永玲子さんと村岡希美さんのコンビを主役に据えてこんな圧倒的な芝居ができるんじゃ、そりゃナイロンには勝てんよ…と思ってしまった。松永さん村岡さんのしぐさのひとつひとつ、セリフのひと言ひと言が、手の込んだ民芸品(美術品ではなく!)のようでいつまでも見入っていたいような味わいと魅力に満ちていた。そしてナイロン100℃の面々の芝居ひとつひとつもまた圧倒的。静かに諦念と怨念を飼うみのすけさんの征太郎は、まさにはまり役だった。みのすけさん、大正昭和期の学者のような佇まいあるものな…。安澤千草さんの、ひたすら夫と姑の陰になりそれゆえ壊れていく奥様の演技もしんしんと怖かった。安澤さんはつい最近のKERA・MAP『しびれ雲』でもかいがいしく立ち働く母親役をやっていて、出だしは同じ明るい人柄なのにと思うと、しびれ雲の家庭の幸福と天房家の破滅は裏表で、けっして別のものではないのだという怖さも込み上げてきた。かすかな意味と意匠を繊細に重ね合わせていく2時間半、一瞬たりとも気の抜けない芝居を、時に笑いも引き起こしながら命中させていく劇団員たちには驚嘆するしかない。

 

客演の4人、よかったなあ。卒倒するかと思うぐらいよかった。入江雅人さんの、人懐っこさの中に猟奇が混じるあの感じ、惹かれずにいられないカガミとクグツの魅力、いったいどこから生まれるんだろう、絶妙だった。岩谷健司さんが演じる茂次郎の、いつも何かに苛立ちおびえて自分を守ろうとする弱さもたまらなかった。その存在感にひたすら驚いた松本まりかさん!なんて残酷で美しい…。鼻持ちならない高慢さでまわりを服従させた挙句、永遠に動かぬ標本のようになってしまった…あまりにも美しくホラーだった。そしてただひとりまともな登場人物だと思われたソネも、実は狂った人物だったことが、ストーリーの中で一番怖かったかもしれない。尾上寛之さん演じるお坊ちゃん然としたソネが天房家にもたらすひょうひょうとした空気に、途中まではホッとしていただけに。

 

美術・照明・映像・音楽・衣装、緊密なコンビネーションにして、どれもすべてすばらしかった。特にひとこと言うなら、音楽、すばらしかった!お芝居は完全な和の世界だけれど、劇伴はバグパイプの音色が響くどこか異世界を感じる音で、それが怖さに拍車をかけていた。途中、役者全員が舞台に立ってコロスのように歌うシーンがあるのだけど、これがしびれるほどよかったなあ。全員の合唱から、死者も生者もないまぜになってその土地に生じる、民衆の「念」が立ち上がってくるようだった。小さな舞台でカタマリになって歌う姿、劇団らしいプリミティブな力があってとてもよかった。

 

和の世界だけれどゴシックな感じも受けたのは、役者の顔の白塗りのせいもあるのかしら。同じように白塗りメイクだった『ちょっと、まってください』(2017年)はタイプの違う作品だけど、和洋のゴシックとして対になる2作品のようにもちょっと感じた。その暗さ重さや、作品の異端さも共通しているような。

 

まったく書ききれていないけれど、いったんこのあたりで。スズナリのあの空間でしかできない芝居を、そして劇団でしかできない劇団の芝居を、観られた贅沢な時間だった。ここにきておそろしいほど攻めに攻めてるナイロン100℃。あの怖可愛い姉妹のこと、ずっと忘れられない。KERAさん、松永玲子さん、村岡希美さん、劇団メンバーのみなさん、客演さん、スタッフのみなさん、総力ですごいもの見せてくださりありがとうございました!