月夜のドライブ

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愛すべき三角座の役者たちに泣き笑い!『世界は笑う』 @ シアターコクーン

ケラリーノ・サンドロヴィッチさん作・演出による『世界は笑う』。テレビでも大人気の若手の役者さんが4人も出演する舞台。発売前にすでにチケットを取りにくいことが予想されていて、KERAさんも「いつも複数回見てくださる方も今回はできれば1回で」とツイートしていたほどだった。CUBEの先行でなんとか手に入れて楽しみにしていたチケット。コロナ禍で演劇界では中止や延期を余儀なくされる舞台が相次ぐ中、この公演も最初の4日間が中止となった末での開幕となった。(個人的に、私自身も観劇当日突発的に家族の緊急事態が発生し行けないかも?と危ぶまれたけれどなんとか駆けつけることができてよかった…。)8/18(木)のマチネーで観劇。

 

COCOON PRODUCTION 2022+CUBE 25th PRESENTS,2022
『世界は笑う』
作・演出:ケラリーノ・サンドロヴィッチ
出演:瀬戸康史千葉雄大勝地涼伊藤沙莉大倉孝二緒川たまき山内圭哉、マギー、伊勢志摩、廣川三憲、神谷圭介犬山イヌコ温水洋一、山西惇、ラサール石井銀粉蝶松雪泰子

■東京公演
公演期間:2022年8月11日(木・祝)~8月28日(日)
※8月7日(日)18:30~11日(木・祝)13:00の5公演は中止となった。
会場:Bunkamuraシアターコクーン
チケット一般発売日:2022年6月19日(日)10:00~
チケット料金:S席 11,000円、A席 9,000円、コクーンシート 5,500円(全席指定)

 


コクーンは私は久しぶり、2017年のKERAさんの『陥没』以来5年ぶりだったみたいだ。コクーンってこんなにこじんまりしてたっけ?などと見回しつつ着席。1階の後方なので、演者の顔まではよく見えないけれども全体は把握できる席。客入れのときには、昭和のCMソングがずっと会場に流れていた。オリジナルでそれ風のを作ったのかな?と思いながら最初は聴いていたのだけれど、ミツワ石鹸やキリンレモンなど有名なものも耳に入ってきて、あ本物だーと。ちなみに途中の休憩時も同様にCMソングがかかっていたのだけれど、だんだんと「ヤン坊マー坊」「文明堂」など私にも耳馴染みのあるものが増えてきたので、もしかするとお芝居とともにCMソングも少しずつ時代を下っていたのかしら?

 

お芝居の一番最初に、「昭和32年」というテロップが映し出される。私が昭和42年生まれなので、その10年前、父や母が20代だった頃か…と想像しながらその世界に入っていく。電器屋洋品店や書店の立ち並ぶ街の一角で、勝地涼さんと伊藤沙莉さんの演じる兄妹が口喧嘩を始め、そのあと千葉雄大さん演じる俳優がオカマの売人からヒロポンを買う描写があり、それぞれの会話の端々がもう絶妙に面白い。KERAさんの演出に応える若い役者さんの力量に、いきなり感心させられる。

 

物語の導入のあとの、上田大樹さんの映像と人物が絡むオープニング、もういつもながらしびれるカッコよさ!17人のキャスト一人ひとりが役をまとって登場し、最大限に魅力的なポーズでライトの中に静止する。その一瞬一瞬が、雑誌のピンナップかブロマイドみたい。圧倒的に「静止画」の時代でもあったのだよなあと思ったりする。

 

1幕前半は、冒頭の街でのやりとり。さまざまな人物が現れ、だんだんと物語の糸口が見えて結びついていくのがスリリングで楽しい。どの人物も絶妙な可笑しさを醸し出す中、山内圭哉さん演じる傷痍軍人と、マギーさん演じるラーメン屋が、とんでもない面白さ!「山内圭哉傷痍軍人」と「マギーのラーメン屋」と書いただけで傑作コメディの予感がしてくるぐらい面白いけど、この設定を実際にあれほどちゃんと面白くできるのはKERAさんの脚本と演出だけだろうな。そしてこの手練の役者たちと、瀬戸康史さん演じる田舎から出てきた朴訥な青年・彦造との会話が客席をドッカンドッカン沸かせていてすごかった。瀬戸さん、『陥没』のときも軽妙な演技に唸らされたけれど、稀有なユーモアを持った役者さんだなあ。圭哉さん演じる傷痍軍人との会話、それからあと(特に2幕)での緒川たまきさん演じるトリコとの会話、世の中にこんな面白いものあるんだろうかと思うほど面白くて、客席中が昭和のお茶の間で笑う庶民のように息つく間もなく笑いっぱなしだった。彦造がひとめぼれする本屋の初っちゃん(松雪泰子さん)の、戦地から帰らない夫が三角座の芸人で、ラーメン屋は劇場出入りの顔なじみで、と、絡み合う人間関係もいつもながら巧み。

 

1幕後半は、彦造が弟の是也を頼って働くことになった喜劇小屋・三角座にシーンが移る。ここに登場する座員の面々の個性が、もうKERAさんの筆のうなりどころというのか、コメディに達者な役者たちの面目躍如というのか、一人ひとり本当に素晴らしかった。一本調子のギャグやアドリブをかまして嫌がられる時代遅れのコメディアン・青タン(温水洋一さん)、単純で気がよく喧嘩っ早い南国さん(山内圭哉さん)、鬱屈を抱えいつも殺気立ってまわりに突っかかるイワシ大倉孝二さん)、調子よく立ち回るケッパチ(神谷圭介さん)、俗人だが面倒見のよい座長(山西惇さん)…。中でも、ラサール石井さん演じる、落ちぶれた喜劇役者・トーキーの哀愁と滋味が、胸に迫っていつまでも忘れられない。クックックッ…と独特の含み笑いをしながら薄っぺらい武勇伝を後輩芸人に話して聞かせ、昔相方だったネジ子(犬山イヌコさん)に「いつまで弁当食べてんの」とたしなめられる、その存在感の弱々しさが、昔と今との落差を物語っていてせつなかった。「不味いから食い終わらないんだよ」と答えていつまでも弁当を食べていたのは、あとから思えば、少なくとも弁当を食べているあいだは“やることがある”からだったのかなとさえ思えてくる。

 

古株の座員たちはみな、無頼で素行がめちゃくちゃだ。小競り合いは絶えないし、ケンカの挙げ句に青タンが劇場で小便をしてしまったり、やることなすことがみっともない。そのどうしようもなさが喜劇役者の本懐と彼らは自負しているはずだけれど、そういう役者のあり方がすでに時代遅れであることも自分たちが一番よくわかっている。お客は新進のストリップ小屋に取られ、皆が過去にすがって現在にイライラし、関係はギクシャクし、事態は悪い方へ悪い方へと転がっていく。トーキーの死が象徴的だ。昔は大人気だったであろう老役者が、「俺も昔は面白かったか~。なら十分だな」とネジ子に可笑しそうにつぶやき、その直後に小屋で倒れてあっけなく死んでしまう。

 

三角座にもよい兆しが見えないではなかった。ヒロポン中毒を脱した是也の人気が思いもよらず上がり、公演に客が戻ってきた。取材記者もやってくるようになる。さらに、「世界を笑わせたい」と息巻く是也が密かに書いて座長に出した脚本は好評を博する。何よりも、みんなのギャグで笑ってばかりという、ちょっと世間ずれした彦造の存在が、三角座に明るさをもたらしたのではないだろうかとも思う。彦造が初っちゃんと初デートの約束を取り付けたニュースに、座員みんなで大騒ぎして歌を歌って祝う1幕最後のシーンは泣けるほど明るく楽しい。みんな、根はいい奴なんだと感じて嬉しくなってしまう。このときの歌が『東京の屋根の下』(灰田勝彦)であることはKERAさんのツイートで知ったけれど、歌詞といい曲調といいまるでこのシーンのために書かれたようですばらしかったな…。血気にはやりすぎる是也のことや、イワシの苛立ちや、ラーメン屋の挙動などは気になるものの、不穏な気配がこれ以上の何事でもありませんように。どうか、どうか、三角座のこの幸せな風景が永遠に続きますように…!!!!

 

2幕は一転、三角座の地方公演先の、温泉宿のシーンが舞台。このひなびた宿で、瀬戸さん演じる彦造の存在がまたしばしホッとさせてくれる。ここへ初めて来る彦造が、すでに何度も訪れている初子を、張り切って案内する可笑しさ。そして初子へのプロポーズについてこっそり相談する彦造とトリコの会話には涙が出るほど笑わされた!噛み合わない会話、鯉に指輪を飲み込まれるくだり、まるでとびきりのスクリューボールコメディで、このふたりの会話いつまでも観ていたかった。それにしてもKERAさんという演出家はつくづく、緒川たまきさんの尽きぬ泉のようなコメディエンヌの才をいくらでもどこからでも何度でも汲み上げられる人なのだなあ。そのどちらもが(無限に湛えられる才能と、無限に汲み上げられる才能が)同時代の同じ場で遭遇してくれたことの幸福を、観客の私たちがいちばん受け取ってる。

 

そして、宿の掛け軸をきっかけに、再びネジ子の回想に現れたトーキーさんが、とてもとてもよかった。掛け軸の絵を見て、低俗な下ネタを延々披露しているトーキー。そこへ、昼に公演を観たと言ってサインを求めてきた宿の者は、相手が誰なのかわかっていなかったが、トーキーとネジ子が金色夜叉をやっていた二人だと知って「あれが一番笑いました」と言い残す。その言葉を、トーキーとネジ子が、掌に包み込むように大切に大切にする様子がたまらなかった。トーキーのように向上心や野心と無縁に見える三流役者でも、喜劇役者の端くれであれば、お客の「おもしろかった」という言葉を、腹を抱えて笑う顔を、焦がれるように求めるものなのだろう。それが笑いに身を捧げた者の性(さが)なのだろう。このときの宿の者の取るに足らないホメ言葉を、トーキーはその後どれだけずっと大切に心にしまっていたんだろう。つらいとき、寂しいとき、不安でどうしようもなくなったとき、そっとこの言葉を取り出して何度も眺めたに違いない。せつない、そして貴い。

 

是也も同じだ。再びヒロポンに毒されて心身が弱りきっているそのときに、打ち上げ花火を眺めながら是也は彦造と地元訛で気のおけないやりとりをする。その中でポツリともらした「イワシ兄さんが脚本をホメてくれた」というひと言。雑誌のグラビアよりも、殺到するファンレターよりも、いつも愛想のないイワシからの手ざわりのあるその一言が、是也の心を温め続けていたのだろうなと思う。

 

しかし、1幕終わりでの私たち観客の願いは、あれよあれよと打ち砕かれていってしまう。三角座の頼もしい後ろ盾だった敏腕興行主のジャノメ(銀粉蝶さん)が、おそらく病のために突然奇矯な行動をし始める。劇団の金庫の金をくすねた犯人が、借金でどうにもならなくなっていたラーメン屋であることが初子にバレてしまう。是也はヒロポン中毒で病院に収容される。そして、三角座の希望の象徴のようであった彦造と初っちゃんだったのに、初っちゃんは突然現れた夫のカケルと姿を消してしまうのだ(南国さんが「イワシ兄さんと初っちゃん」を見かけたと言っていたことに、ここでハッとさせられて唸る)。

 

幸せは、築くのは大変なのに壊れるのはあっというまだ。一世を風靡した笑いが、飽きられて色褪せるのも驚くほど速い。2幕の終わり、セットはまた街の中へ戻り、飲み屋で働く彦造の語りから、三角座が解散したことがわかってくる。座員も散り散りばらばらになってしまったようだ。あんなに楽しい一座だったのに。KERAさんの筆は、淡々と残酷な現実を追う。でも、淡々と追うからこそ、徹底的に打ち砕かれた現実から、かすかな希望が芽吹くたくましさも見逃さない。

 

田舎から出てきた若いカップルが道に迷っていたのを、彦造が助ける。それからあの傷痍軍人とまた出くわして、頓珍漢な会話をする(ここで圭哉さん演じるすっとんきょうな軍人に出会えて、観客もなんだかホッとして抱きしめたいぐらいの気持ちになる・笑)。時間とともに変わってしまい、もう取り戻せないものがほとんどだけれど、変わらないことも少しならあるのだ。

 

入院している弟・是也は出せるあてのない脚本を書き続けていて、彦造が出版社めぐりに奔走しているのだけれど、ラスト、出版社から電話の入った様子が描かれる。ツキに恵まれなかった兄弟に、やっと幸運が巡ってくるのだろうか。そうだといい。もうひとつ驚くのが、あの青タンがスナックで「先生」と呼ばれているのがちらっと出てくることだ。三角座の中でも、いちばんダメな芸人だった青タンが。人気稼業なんて、ひょんなことで何が流行り何が売れるかわからない。廃れるものもたくさんあるけれど、必ず次の何かが穴埋めしていって、その前にそこにあったものを忘れさせる。そうやって人は笑い続けるし、生き続ける。残酷で、同時に希望もある現実が、明るくさらっと描かれていた。

 

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KERAさんの舞台は、観たあと大概「KERAさんすげー!」と思いがちなのだけれど、今回はまずしみじみと「役者すげー!」だった(当たり前だけれどどっちもすごい。私が「思う順番」の話)。興行の世界にいる、どこかタガが外れた突拍子もない人物たちが、役者の立ち居振る舞いや言葉尻からありありと立ち上がってきて心を引っかき回してくる。KERAさんの信頼篤いナイロンの面々や、緒川さん圭哉さんマギーさんヤマニンさん温水さんラサールさんといったオモシロ強者の役者たちはもちろん、それに負けない若手4人の存在感も本当に素晴らしかった。小粋さと軽やかさが持ち味の勝地涼さんは、きっとそうだろうとは予想していたけれど思った以上にKERAさんの世界をのびのびと泳いでいて胸がすくようだった。腹の据わった役者という印象がある伊藤沙莉さんは、若いのに物怖じしないその度量を遺憾なく発揮していて、パンチの効いた存在感が見事だった。千葉雄大さんは大人気の俳優さんという以外の知識を私は持っていなかったのだけれど、素朴な人物でありながら笑いに取り憑かれ狂気にさいなまれていくという難しい役どころを、迫力ある演技でねじ伏せていて息を呑んだ。そして瀬戸康史さん、(今のところ私のKERA作品ベスト3には入る)『陥没』でのトリッキーな役柄でも唸らされたけれど、このアクの強い役者だらけの中で、飄々とした独特のリズム感をもった軽やかかつド重い“魔球”とでも言いたいような演技、目を見張った。

 

すべての登場人物がいとおしい存在だったけれど、とりわけトーキーさん、ネジ子、イワシ、青タン、トリコ…三角座の役者たちには心を貫かれて今も忘れられない。3時間半いっしょに過ごしただけだけれど、彼らはもう、私の人生にくっきりと「居た」人物だ。

 

3時間半の舞台の隅々までみっちりと、KERAさんの笑いや舞台や表現への愛にあふれていて胸が締めつけられた。三角座の芸人達はみなダメでどうしようもないアウトサイダーだけれど、そんな彼らにも舞台上で誰よりも輝き客を笑顔にする瞬間がある(あった)。その貴さを焦がれるように求める心が、現実の役者とも、客席の私たちとも重なって見えて泣けた…。「笑い」への特別な経験と思いを持つケラリーノ・サンドロヴィッチという作家と、「笑い」への特別な能力と思いを持つ役者たちによる、奇跡のような、でもその辺の街なかの芝居小屋でかかっているような、愛すべき素晴らしい舞台だった。

 


書きたいことは尽きず文章は追いついていないけれど、いったんこのへんで。コロナ禍の中で生の舞台を届けるという、いちばん手間がかかって面倒で難しく、かけがえのない営みに謝意を込めて。KERAさん、役者のみなさん、スタッフのみなさん、ありがとうございました!