月夜のドライブ

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ナイロン100℃『イモンドの勝負』と、物語について考えたこと

ナイロン100℃の3年ぶりの公演『イモンドの勝負』を観た。3年ぶり!?と驚いたけど、確かに、前作は2018年(『睾丸』)だ。今回私が足を運んだのは、東京公演の中ほどにあたる12/2(木)のマチネー。ナイロンのホームグラウンドともいうべき下北沢の本多劇場にて。

 

イモンドの勝負 本多劇場.jpg

ナイロン100℃ 47th SESSION
『イモンドの勝負』

【出演者】
大倉孝二
みのすけ 犬山イヌコ 三宅弘城 峯村リエ
松永玲子 長田奈麻 廣川三憲 喜安浩平 吉増裕士 猪俣三四郎
赤堀雅秋 山内圭哉 池谷のぶえ

【STAFF】
美術:BOKETA 照明:関口裕二 音響:水越佳一 音楽:鈴木光介 映像:上田大樹 大鹿奈穂 
衣裳:前田文子 ヘアメイク:宮内宏明 振付:HIDALI
演出助手:相田剛志 舞台監督:菅野將機

宣伝美術:雨 千砂子 彫刻:ねがみくみこ
宣伝撮影:江隈麗志 宣伝衣裳:畑 久美子 宣伝衣裳協力:東京衣裳 
宣伝ヘアメイク:山本絵里子 浅沼靖 印刷:ブーベ

【THEATER&SCHEDULE】
公演日:2021年11月20日(土)〜12月12日(日)
チケット料金:7,600円 (前売・当日共/全席指定/税込)
学生割引券:5,000円(チケットぴあ前売のみ取扱/税込)
当日引換券:7,600円(チケットぴあインターネットのみ取扱/開演1時間後まで購入可)
会場名:下北沢 本多劇場

 

 

観たその日に、Twitterにこう書いた。「なんだか抜群の強度を誇る構造材で一分の隙なく造った、世界一高い豆腐のタワーみたいな感じがした!」 世界中の人々が惚れ惚れと見上げる高く美しい建造物、でも豆腐!みたいな。ナイロン100℃という劇団は、言うまでもなく(言うまでもなさ過ぎてあまり言われていないような気もするけど)、劇団員一人ひとりの能力が異常に高い。長台詞をよどみなく繰り出せる活舌や記憶力、やりとりの絶妙なタイミングを正確に捉える勘のよさと経験の豊富さ、表情や声や動きを自在に操る身体能力、それらを3時間以上ブレなく継続できる体力と集中力。おもしろいとかおもしろくないとかいう以前の、役者としてのベーシックな能力が格段に高い集団。(そのことは、全員がさまざまなアスリートの動きをスローモーションで模すオープニングで、あらためてしみじみ感じた。身体能力、高いな!と。)その恐ろしいまでの超有能演劇集団の一人ひとりが、堅固な梁や柱となり高強度のボルトとなって緻密に組み上げた、高く美しい(ま、たとえばですが)豆腐のタワー。信じられなくて二度見しちゃうし、見たことなくて笑っちゃうし、でも笑えばいいのか尊敬すればいいのか困るし、労力と能力をフルに使ってなぜこんなもの作ってるんだろうと混乱するし、真面目さと無駄さのアンビバレンスに不安にもなるし。

 

でも、物語は、そこに強く存在するのだということに、いちばん心を動かされた。ナンセンスなのかもしれないけれど、強く、揺るがない物語が、存在しうるということに。(これについてはちょっと後でまた書く。)

 

大倉孝二さんが、看板役者になったなあ!という感慨。ナイロンの男優といえばみのすけさんと三宅さんが二枚看板という印象だし実際そうなのだと思うけれど、KERAさんが大倉さんを主役に書いた今回の『イモンドの勝負』は、大倉さんの特異な個性が最大限にたぎっている作品だった。なんというか、まず大倉さんが、半ズボンで出てきただけでおもしろいんだもの。まあ大倉さんはいつも(のように)巻きこまれる側で主役っぽくさえないんだけれど、主役として舞台の中心で堂々と思う存分巻きこまれまくってた。大倉さんは本当にすごいなあといつも思わされる役者さんで、そのすごさが口ではうまく説明できないのが心底すごい。ムリヤリ言うなら“独り錯視”のような…。大倉さん自身は非常にまっとうに演じていて面白いことをやろうとも言おうともしていないのに、彼の演技を見て彼の台詞を聞いていると、いつのまにかいつもの景色と少しだけズレた場所に迷い込まされる。あまりにも特異で、大倉孝二という役者でしか体験できない、そこに行かないと出会えない世界でただひとつのアミューズメントパークの乗り物みたいだと思う。

 

観劇後「ナイロンの芝居を観た!」という満足感がすごかった。イヌコさんや廣川さんは最近もKERAさんの舞台でよく観ていたけれど、そこにみのすけさんも三宅さんも大倉さんも峯村さんもいる舞台。他の何でもない、ナイロン観た!という満足感が押し寄せた。私は特別熱心なナイロンファンでもないし長く本公演がない間欲しているという意識もなかったのだけど、やっぱりナイロン100℃の芝居って、他の何とも違う、KERAさん自身が携わるKERA・MAPやケムリ研究室とさえやっぱり違う、決定的にナイロン100℃でしかない芝居なんだなあと思った。

 

しかし劇団の面々一人ひとりが劇団一個分ぐらいの存在感あるうえに、客演の赤堀雅秋さん、山内圭哉さん、池谷のぶえさんの怪演っぷりたるや。

 

ひたすらめちゃくちゃでちぐはぐな展開の中、大倉さんと峯村さんの母子のやりとりや、大倉さんと松永さんの父娘の関係、大倉さんと長田さんのごっこ遊びのシーンなどは、妙な切実さもあって。でも、芝居全体を振り返ったときにいちばん記憶に残っているのは、タモツ(大倉さん)と会長(三宅さん)の渾身のジャンケンのシーン。え、そこ?でも『イモンドの勝負』だからいいのか!

 

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(ここから先は『イモンドの勝負』の感想とは少し外れるのだけれど、思ったのでメモしておく。)

KERAさんがつい最近(たしかTwitterでだったと思うけれど)、「昔の芝居には、もっとわけのわからないものがたくさんあった」というようなことを言っていた。それと同じことを、カムカムミニキーナの松村武さんも最近言っていた(出典がどこだかあやふやで申し訳ないけど、言ってたと思う)。

 

そして、私が今年観たナイロン100℃の『イモンドの勝負』と、カムカムミニキーナの『サナギ』。劇団のカラーも芝居の手ざわりもまったくと言っていいほど違う2つの芝居だけれど、「とんでもなくわけがわからない」ということは共通していた。と同時に、そこにある「物語の強度」もまた共通して圧倒的だった。

 

『イモンドの勝負』も『サナギ』も、まったく方向性の違う表現ながら、それぞれに「よく芝居として成り立たせられるな!」とあきれるほどハチャメチャで荒唐無稽。あらすじにならないストーリー、ひと言におさまらないテーマ、いわゆる「伏線を回収」とか「起承転結」とか「王道パターン」とか、見事に蹴っ飛ばしてる。

 

このお芝居たちに私は(勝手にだけど)、KERAさんの、松村武さんの、「物語」への信頼と希求を見る気がするのだよね。“マーケティング”に食い荒らされた出来合いのストーリーから、物語を奪い返す試み。物語って、もっと広くてもっとわけわかんなくてもっと凄いんだぜと、容れ物ぜーんぶひっくり返して、猛々しい可能性を野に放つ無謀なふるまい。安心安全が好きな大人からは「きゃーやめて」と言われそう。

 

でもこれこそ、このしっちゃかめっちゃかでわけわからなくて収拾のつかない何かこそ、物語なのだと、物語の強さなのだと、KERAさんや松村さんは思い、「物語」に信頼を寄せているのだと思えるのだよね。そしてその、自由さを取り戻して大暴れする物語を目の前にリアルに立ち上げるときに、「劇団」という存在を通すことは、きっと必然でもあるのだろうと感じた。KERAさんが『イモンドの勝負』について、松村さんが『サナギ』について、同じく言っていたのは、「これは劇団でしかできない芝居」だということ。劇団を長く続けているだけでなく(それだけでもすごいことだけど)、その劇団が、作家による物語への希求を共に闘う、もっとも有能な集団であり続けていることには、胸が打たれてしまう。

 

「よく芝居として成り立たせられるな!」ではなく、「それを成り立たせるのこそ、芝居」なのだな、と思う。なんて豊かで心沸き立つ現場を、私たちは目にしているのだろうか。

 

(言葉足らずなところもあるけど、これでいったん終了。)

 

 

KERAさんのツイート発掘した!転載させていただきます。

 

ケラリーノ・サンドロヴィッチ
@kerasand
たしかに『イモンドの勝負』はヘンテコな作品ですが、世の中にはもっともっと奇天烈なモノはいくらでもある。80年代に観た小劇場は概ねどんな話かよく分からなかった。作者としては、ヘンテコなモノもそうでないモノも、等価にフツーにいつでもあるのが楽しいですね。
午前2:34 · 2021年11月15日