月夜のドライブ

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煉獄さん!!!!「劇場版『鬼滅の刃』無限列車編」を観て その1

2020年10月公開の映画「劇場版『鬼滅の刃』無限列車編」。『鬼滅の刃』のことを何も知らない私が12月に初めて観に行って、それから現時点までで計7回映画館で観ているのだけど、せっかくなので原作マンガもTVアニメシリーズも知らない今の状態での感想を書き留めておこうかなーと思う。(このあといずれ、マンガとTVアニメには足を踏み入れそうな気がするので…。)ただし映画観た以外の知識皆無なので、感想の中に間違いや誤解などは多々あるだろうと思いつつ。

 

鬼滅fuchu.jpg

公開日が10/16(金)で、私が初めて足を運んだのは12/1(火)。「映画の日」で1,000円で観られる日だったので、話題の映画でも観に行ってみようかという軽い気持ちだったと思う(もうすでにあまり初心を思い出せない)。『鬼滅の刃』に関する情報は世間話がふわっと耳に入っていた程度だったので、この時点で私が映画について知っていたことといえば、

・なんとなくの登場人物(主役は炭治郎、見た目カワイイ子と見た目イノシシの仲間がいる、妹は禰豆子)

・なんとなくの設定(舞台は大正時代で鬼と戦っている)

・観た人はもれなく煉獄さんという人物に恋してしまうらしい(なお煉獄さんがどんな姿形をしたどんな役割の人なのかは知らず)

その程度の知識で映画にGO。

 

複数回観ている今ではもう慣れてしまってそう感じないのだけど、一番最初に観たときびっくりしたことがいくつかあった。

●登場人物の等身

プラットホームにいる人や車内の乗客がずんぐりしていて、スラリとした等身のアニメキャラを見慣れた目に新鮮だった。

●ギャグ要素の多さ

シリアスなアニメだと思っていたので、いきなり主役たちの造形が崩れるギャグ要素の連発に驚く。

●特殊な世界観

というか、かなり特殊な世界観をもつこんな映画が老若男女に受けて大ヒットしているという事実にびっくりした。「口枷をして昼間は箱に入っている妹」「夢の外側にある無意識領域と精神の核」「映画本編がほとんど夜のシーン」なんていうある意味アングラなアニメを、家族連れが大挙して映画館で観ているとは…(公開7週目のこの時点で動員2053万人・興行収入275億円を超えていた)。日本人キマジメと言われるけど、意外に突飛な世界にみんなで飛べてしまう文化的なタフさを共有してるんだな~と変なところに感心し、頼もしくも思ってしまった。

 

そして見事に、観終わったその時から、私も煉獄さんに恋い焦がれるひとりに。冒頭の「うまい!うまい!」の型破りなふるまいや炭治郎との可笑しくも噛み合わない会話から受ける「ちょっと変わった人」の印象が、ラストに至るまでの流れの中で、観る者すべての心を捉えて離さないほどの強い魅力を放つ人物像へと変わっていく、あまりにも壮大なるギャップ萌え…。

 

鬼滅の刃』は、プロの声優さんたちの演技のすばらしさがよく取り沙汰されるけれど、この劇場版の限られた登場人物だけでも、ため息の出るような凄さ。鬼殺隊の3人も魘夢ももちろんだけど、とりわけ、日野聡さん演じる煉獄さんと石田彰さん演じる猗窩座のラストの一騎打ちのシーンは、アニメ史に残る名演なのではないかと思う。「無限列車編」の魅力は数限りなくあるけれど、このシーンが観たくて、ここのふたりの声の演技が聴きたくて、何度も映画館に通ってしまうという人は多いのではないだろうか。

 

猗窩座が煉獄さんを「杏寿郎」と呼ぶ、その声に背筋がゾクッとする。日野さんと石田さんの対談(入場者特典第3弾のスペシャルブック)でも触れられていたけれど、猗窩座は、技と力を極めた相手と競い合い高め合い続けるために、煉獄さんをいずれ死を迎える人間ではなく永遠の命を持つ鬼にしたいと願う。その愛憎入り交じった心情を、石田さんの冷徹かつ色気のある声が完璧に表現していて息を呑む。そして猗窩座に「杏寿郎…」と下の名前で呼ばれたその途端、煉獄さんが、それまで炭治郎たちに見せていたのとは違う、ひとりの青年の顔になったように見えて、ぐっと心を掴まれてしまった。自分のことを「煉獄さん」と頼ってくれた炭治郎たちに向けていた年長者の顔とは違う、若き剣士としての純粋な闘争心が、猗窩座に「杏寿郎」と呼ばれることで起動したのではないかと。

 

さらに、猗窩座が鬼にならないかと誘いながら煉獄さんを痛めつけ、死の寸前まで追い詰めても相手にその気がないとわかると、苛立つように「お前は選ばれし強き者なのだ!」と怒号を浴びせる、その言葉が煉獄さんの幼少期の風景の中にある母の記憶を呼び覚まし、母から注がれた愛情の強さと共に「弱き人を助けることは強く生まれた者の責務」という約束の言葉を、再び身体のうちで燃えたぎらせることになる、その描写がせつなくも凄まじい。

 

私たちは2時間のあいだに、煉獄杏寿郎という第一印象「ちょっと変わった人」の、圧倒的な強さをもつ頼もしい柱ぶりを見、力が勝る上弦の鬼と相対しても一歩も引かない若き闘争心に触れ、最後の最後に、約束を守れたことを最愛の母に認めてもらって安心しきる子どものような無上の笑顔を見せられてしまう。年長者であり若き青年であり子どもでもあるひとりの人間の魅力を、こんなにも濃く凝縮して描写できるものだろうかと思うほどに。

 

そして、観る者の心を強く惹きつけたと同時に、煉獄さんは永遠に観る者の手から喪われてしまう。あんなにも心を奪っておきながら。何という喪失感、何という絶望感かと思う。

 

映画の主人公(炭治郎とともに、「無限列車編」の主人公は間違いなく煉獄さんである)が負けて終わる、しかも死んでしまって戻らない、という受け止めきれないほどの絶望感も、初めて観たときに衝撃を受けたことだった。(これほどの絶望に突き落とされる結末を持つ映画が、2000万人以上の人に愛されているということにも驚いたし、観客の物語への信頼もすごいものだなと思った。)ただ、炭治郎や伊之助が煉獄さんの思いをしっかり受け継いだと思える描写や、鎹鴉(かすがいがらす)が他の柱たちに煉獄さんの死を伝えるほんの短いシーンがあることが、絶望の中のかすかな希望の光を示していて救われる。まさに煉獄さんが言っていたように、人間はいずれ死んでしまうはかない存在だけれど、思いを伝え繋いでいくことだけが、人間がその絶望に対抗できる術なのではないか、と。

 

でも、喪ったあと、あきらめきれずにやっぱり快活に生きて動いて笑って闘っている煉獄さんに会いたくて、私などは(そしてたぶん多くの人も)「無限列車編」を観に何度でも映画館に足を運んでしまうのだけれど…。

 

 

それにしても、この文章を書いている公開13週の時点で、動員2621万人、興収357.9億円。11週で歴代興収ランキング1位に。単純計算で日本人の5~6人にひとりが、煉獄さんの姿を目に焼きつけ、煉獄さんの「俺は俺の責務を全うする!」のセリフを胸にぶちこまれ、母・瑠火の「人より強く生まれた者は、その力を世のため人のために使わねばなりません。私腹を肥やすことは許されません」の言葉を聞く。そのことが心底すごいと思う。映画の中の煉獄さんの姿は観た人の深い部分にボディブローのように効いて、今すぐということはなくても静かに少しずつ、世の中を変えてさえいくのではないかな、と思う。

 

 

何もかもが規格外のこの『鬼滅の刃』という映画、感想を書ききれないことは承知の上で書き始めたけれど、追いつくことはなくやはり遠ざかる。機会があればまた書きたいと思います。

 

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とうとうマンガも買い始めてしまった…。