月夜のドライブ

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高野くんと、音楽と。

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ハイドパーク・ミュージック・フェスティバルのレポなどをいろいろなところで読むにつけ、高野寛さんの存在感ということについて、話に出ているのが目に留まる。高野くんにあんまり興味ない人にも、彼のことあんまり知らない人にも、印象に残ったみたいだね。ミュージシャン多数参加のフェスならではのこと、すごく素敵だ。で、ハイドパークには行けなかった私も久しぶりに高野くんのCDをいろいろ引っ張り出し、浸ってる。

 

88年のデビュー作『hullo hulloa』、89年の『RING』、90年の『CUE』、それから私が音楽落ち武者になるまでの90年代前半ぐらいまでは、本当によく聴いていたな、高野くん。このBLOGで散々騒いでる、私が初めてカーネーションを生で見て陥落したライブっていうのは、実は高野くんとの対バンだったんだよね。今はなき日清パワーステーション。生のカーネーションにあまりにも感激しすぎて終演後彼らを出待ちしてサインもらったんだけど(←そのころから惚れやすく大バカ)、カーネーションを待ってるのが私ひとりだったのに対して、すでにポップス界の貴公子として人気があった高野くんのほうには、多数の女子が群がっていた記憶。一番最近(といっても2002年だけど…)私がナマで高野くんを見た「HAPPYEND PARADE LIVE」のときもその印象はまったく変わっていなくて、「きゃ~貴公子だ、貴公子!」と大騒ぎした私ととりりんであった…。

 

久しぶりに聴いたけれど、やっぱりいいよね、高野くんの音楽。『hullo hulloa』なんて、デビュー作にしてこのクオリティ、信じられない。すごく思い入れがあるのは2作めの『RING』、本当によく聴いた。高野くんはどの曲ももれなくポップなのだけれど、「See You Again」「BLUE PERIOD」「虹の都へ」「ベステンダンク」、シングルに切られるような曲たちは本当にポップスのお手本みたい。珠玉のメロディ、スキのないアレンジ。“ポップな曲”という命題があったとしても、なかなかここまでポップには作れるもんじゃないと思う。

 

でも、そのキラキラなスキのないポップさもいいけれど、去年出た『確かな光』(画像の、一番上に置いてあるやつね)の、ザックリした感じが、今の私はすごく好きだと、今気付いた。日本で「シンガーソングライター」っていうと、しょうがなくギター一本で歌ってるような、良くも悪くも地味でショボいイメージがあるんだけど(←すごい偏見か?)、人の心に届く歌を歌おうと志す「シンガー」であり豊かなメロディを書ける「ソングライター」であるっていう、本来の意味のSSWで高野くんはあると、このアルバム聴くとすごく感じるなあ。日本では難しい「シンガーソングライター」のあり方に、高野くんは持ち前の実直さそのままに、挑戦してるんだなっていう気がする。

 

そして、popholicさんがこの記事で書いていることに、深く深く頷く。高野くんが、前の世代から受け継いだものを次の世代に引き継ぐ音楽家として、最重要人物だってこと。テントレーベルのオーディションでシーンに出てきて、幸宏さん+慶一さんのビートニクスのツアーでギタリストをやって、例えばさっき書いた私の大好きな曲「BLUE PERIOD」では大村憲司さんがギター弾いたりしてて。そういう、自分が受け取ってきた日本のロックの豊かな果実を、彼はそのまま、次の世代につないでるように見える。「音楽って素晴らしいよね」って思わず話しかけちゃうような気さくさで。

 

私は勝手に思うんだ、どう「あり続け」られるのか、リスナーもどっかでがんばんなくちゃなって。もちろん義務感ではなく、うーん、何だろ、高野くんや、直枝さんや青山さんや…っていう、いつも私が騒いでるようなアーティスト(とそのスタッフ)たちが、いろんなものと闘いながら私たちにいい音楽を届けてくれようとする、その志にほだされて、っていうのかな。いい音楽は、空気みたいにただそこに存在してるわけではないから。誰かがどこかで闘ったり傷ついたり苦しんだりしながら、それでも音楽がもたらす素晴らしさに震えて、同時に人にもその素晴らしさを伝えたくて、その思いがあってやっと私たちに届くものだと思うから。「生活といううすのろ」(by佐野くん)にどんどん負けそうになる年齢になって余計、そのことを思う。私という人間のすべてを音楽に捧げることは、今の私の場合もちろん無理だけれど、視線だけは向けていたいし、志だけは持ってたいなって。

 

何を言ってるのかよくわからなくなってきた…。ともかくも、今の私は音楽を愛してるってことだ。私が音楽のためにできることなんてほとんどないに等しいけど、私は私に聴ける範囲の音楽を、とにかく愛したいってことだ。うん。ハイドパークでの高野くんのこと考えてて(いや見てないんだけどね)、そんなことにまで思い至った今日だ。