月夜のドライブ

ラブレターバンバン書いて紙飛行機にして 宛てもなく空に飛ばすブログです。▶プロフィールの「このブログについて」をクリックで記事一覧などに飛べます。

外苑東通りで勝手にブギー・バック

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コウモリのような気分でフリッパーズを聞きついでに、私のレトロスペクティブな視線はここにたどりついちゃった。94年、「今夜はブギー・バック小沢健二featuringスチャダラパー。といっても、この曲にまつわる思いを懐古的にするのは、ただ私の個人的な事情であって、この曲の音楽的意味とはまったく無関係なのだけれど。この曲を聞いて私の心を駆け巡ることといえば、フリッパーズ後私がオザケン派だったかコーネリアス派だったかということではなく、ましてや90年代の日本のラップがどうだったかということでもなく、ただひたすら、六本木、外苑東通り沿いの2階にあったカラオケ飲み屋の(いかにも90年代的)バカ騒ぎの風景。そこで私は、彼とこの曲をいっしょに歌ったんだった。彼がそんなことをきっとひとひらほども覚えていないぶん余計に、私は覚えている。

 

大人数だったり二人だったりで、とにかくそのころ、よくいっしょに飲んでいた。彼は、女の子に「私だけは特別」と思わせるすべを心得た男性で(それだけでもすごいでしょ)、女の子は、どうもこの「特別」は私だけのものじゃないなーという予感を持ちながらも、その「特別」を手離したくなくて、ちいさな疑心は閉じこめて彼を見つめてしまう。自分では指を触れずに女の子の心を操作してしまうその手際は、それは見事だったな。…と、あれから10以上も歳をとった今は、客観的に驚嘆のため息をつくのだけれど。そのとき見事に「当事者」だった過去の私は、そこに気付くのを都合よく避けていた。首都高の下で放たれた、またここで会おうねなんて台詞が、取り立てて意味のない単語の羅列だったってことにも、第三者になるまでのずいぶん長いあいだ気付かないでいた。今思えば相当、私だけが近視の恋だった。

 

六本木のカラオケ屋で「今夜はブギー・バック」を歌ったのが、その短い恋のどのあたりのことだったのか、記憶は煙草のけむりとアルコールの向こう側で定かでないけれど、この曲のどことなく空疎さをはらんだせつないメロディは、私の中で勝手に、「ダンスフロアーに華やかな光」があった90年代前半と、そこで起きたひとつのちっぽけな恋、そしてその終わりとに結び付いてしまっている。

 

この、今や懐かしいタテ長のシングルCD。左側が「小沢健二featuringスチャダラパー」で、右側が「スチャダラパーfeaturing小沢健二」、中味もボーカル中心、ラップメインとミックスが違っていて、発売もそれぞれのレコード会社である東芝EMIとキューンソニーから別々にされているという遊びゴコロ。それに律義に付き合って両方買っている私もエライのかエラクないのか。90年代半ばのこの辺りから先5年くらい、ぱったり音楽を聞かなくなる期間が私に訪れる、それは別にオザケンのせいでも六本木の彼のせいでもありません。あのカラオケ飲み屋、もうないんだろうなあ。

 

*「今夜はブギー・バック小沢健二スチャダラパー