月夜のドライブ

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マージナルな場所

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糸井さんがやっているサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」の中のコーナー「月光庵閑話」で、鈴木慶一さんが“マージナルな場所”について話している(第4シーズン その10)。それが印象に残っているのは、私が育った地もマージナルな場所かもしれない、と思うからだ。「マージナル=へりの、辺境の」と辞書には載っている。

 

私の実家は、東京を新宿からずっと西に下って行った、まあそれだけで言えばただの“東京のイナカ”なのだけれど、そこに米軍基地があることが、平坦であるべき風景を少々変質させている。小学校の社会科では、「市の面積の3分の1が基地」だと習った。関東平野の広がりの一部でしかない平板な台地に、突然アメリカへの空路がねじ込まれている形。ざっくりと異質なものに自分を開放しているそのことが、よく言えばこだわりのない、別の言い方をすれば自棄(やけ)っぱちな感じを、土地柄に刷り込んでいるような気がする。今、客観的に振り返って、そう思い当たるのだけれど。

 

その米軍のベースという異物と、土着の畑作農家と、高度成長期で拡大した郊外とを、等しく学区に抱え込んでいた私の通う公立中学は、まさにマージナルな場所だった。学校が荒れていたのは、80年代の教育現場に共通のできごとではあったのだけれど、そのマジやさぐれた雰囲気は、やっぱり土地の事情を多分に含んでいたのかもしれない、今思うと。昭和40年代式の公団に住む、都市の膨張でたまたま外に押し出されただけの「郊外チーム」の私は、その荒みやささくれにずいぶん目を見張ることが多かったけれど、あれで、何でも大丈夫になったところもある。逆に、区画整理された建て売り住宅地みたいにキレイに種類やクラスが揃えられた集団は、なんだか恐いし居心地が悪くて仕方がない。

 

駅のそばで、毎年大きな七夕祭りがある。去年の夏、20年ぶりぐらいに子連れで見に行ったのだけれど、七夕の飾りなんかより、そのやさぐれた空気がいまだに色濃く残ってることのほうに、目を奪われっぱなしだった。都心で見かけるのとはちがうタイプのまがまがしさを、若者だけでなくそこら辺を歩く老若男女がみんな、持っている。下着一枚でうろつく爺さんも、金の喜平ネックレスをいくつも首と手に巻きつけたあんちゃんも、黒人の太い腕に両手を絡めるミニスカートのネーちゃんも、ベビーカーを押すお母さんも、普通の公立中学生も。それは、実家に帰るのに昨日その駅に降り立った瞬間にも、また肌を刺してきた。いつでも少し身構えてしまうようなその空気が、同時にまた懐かしい。

 

ケータイ画像は、その、昭和40年代式公団。私はずっと、この給水塔を見ながら育った。これだけなら、東京の郊外どこにでもある風景なのだけれど、ね。