月夜のドライブ

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寡黙な美容師さん

吉祥寺に髪を切りに行った。とりりんと違って私は髪を切ってくれる人が男か女かはどちらでもよいのだけれど、ただ、あまり口数の多くない人がいい。髪を切られているとき、最近出かけたレストランの話をしたり、雑誌を読んだりするのは、あまり好きじゃない。どちらかというとその時間は、ぼーっと美容師さんの手とハサミの動きに見とれていたいから。もちろん、微妙な距離感の会話が苦手、という事情もある。2~3カ月にいっぺん会うだけでそれ以上親しくなるわけでもなく、でも会うたび髪には触れられる、という不思議な関係のふたりが、費やすのに適当な会話が思いつかない。

 

私のカットを彼が担当してくれることになったのは、前の担当の女性が辞めたあとの偶然だけれど、それが7~8年も続いているのは、彼が寡黙な人だったという必然だ。それから、まあカットには関係のないことだけれど、彼の見た目も私は好きだった。流行の先端を担う場所らしく、その美容室には、岡村靖幸のカッコをした若い石田衣良、みたいな(あくまでイメージね)男の子や、「iPodかこのスカートか迷って結局これ買っちゃったんですよー」なんていう女の子の、センスとお給料を投入したファッションにあふれていて、それも見ていて楽しいのだけれど、彼の恰好は職場のトレンドとは無関係にいつも至ってシンプル。たいがいはその細身にしっくりくる濃いデニムのジーンズに、Tシャツだ。無造作な感じが彼によく似合っている。つくづく私は、ぞんざいなタイプに弱い。

 

大きな鏡の中で初めて挨拶してから7~8年ものあいだ、「仕事何してるんですか?」とか「家はどの辺ですか?」なんていう美容院的会話を、彼は一度も私にしたことがない。だから私も、彼が大阪の人だなんて、一昨日言われるまでまったく知らなかった。彼の言葉に大阪のイントネーションを感じたことはなかったし、そもそも大阪の人がみんな池乃めだかやチャーリー浜のようにしゃべるわけでもないのだろう。「急なんですが10月いっぱいで退社して、大阪に帰ることになったんです」ということだった。

 

友人でもなく他人でもなく、でも、永遠にそこにいるはずだと勝手に思っていた人がいなくなってしまうのは、見慣れていた建物が突然姿を消してしまう感覚とよく似ている。風景が変わることをなじったりなじられたりするほどの深い関係はないのだけれど、ちょっと寂しい。

 

「お仕事は続けられるんですか?」という私の問いに、「ええ。ぼくはこれしかできないんで」と答える彼。その笑顔に、「これしかできない」人の内なる誇りとしたたかさを感じて、彼の印象が、最後にまた高まってしまった。彼のかの地での前途が、たしかなものでありますように。そしてできれば私の次の担当者が、寡黙な人でありますように。