月夜のドライブ

ラブレターバンバン書いて紙飛行機にして 宛てもなく空に飛ばすブログです。▶プロフィールの「このブログについて」をクリックで記事一覧などに飛べます。

オチョーシモンにたどり着きに

赤坂見附の駅の階段を駆け上がり、開演時間を少し回ってドアの向こうに滑り込むと、ヒックスヴィルの「孤独な心臓(ハート)」が聞こえてきたあの2月のことは、よく覚えている。それが、鈴木博文さんのライブシリーズ「オチョーシモン・ザ・ナイト」の、第1回目だった。もう2年半も前のことだなんて思えないほど、鮮やかな記憶。店の一番後ろで聞いていたら、そばのカウンターに青山陽一さんがいてドキドキしたこと、さらに博文さん本人までがカウンターの脇から顔を出したので驚いたこと、よく覚えてる。(そこが楽屋の出口なので、アーティストといえどもカウンターの脇から現れるしかないのだということは、ほどなくわかったけれど。)

 

オチョーシモンでユージューフダンな男であるところの鈴木博文さんが、2~3カ月にいっぺん必ず、赤坂グラフィティというこじんまりとしたスペース(そのこじんまりとしかたは渋谷的でもなく中央線的でもなくやはり赤坂的だ)のステージで歌をうたってくれることは、私にとってたどり着くべき確かな灯台みたいなもので、私はいつでもその場所を視線の端に引っかけながら航行しているし、そのことが私の生活を(たぶん)私らしくもしてくれている。そういうわけで、10月の土曜日、また赤坂へ出かけた。「オチョーシモン・ザ・ナイトVOL.12」にたどり着きに。

 

 

開演直前に、地下にあるグラフィティが箱ごと揺れた。その余韻を引き受けながら、博文さんの指がキーボードに下りて始まったライブ。サポートの川口さんの、乾いたサックスの響きが絡む。「影法師」。ダメだ私、今日もまた“青い空”で、ヤラれてしまう。そしてまた地震。キーボードを弾く手を休めずに、天井を見上げる博文さんの表情が子どもみたい。川口さんはステージをいちど去り、博文さんひとりの弾き語りで「誰でもない男」、そしてああ~「滑車と振子」だー。つくづく、荒っぽい鍵盤の音、博文さんにしか出せない音。そして、博文さんだけの声の手ざわり。繊細で乱暴な。

 

3曲終えたところで、ゲストの知久寿焼さんのコーナーへ。博文さんが知久さんをステージに招き入れ、セッティングの傍ら自分たちのつながりを紹介していたのだけれど、知久「去年、ずっと一緒でしたね」、博文「そう、3カ月…ぐらい、同棲してたもんね」。あのーっ。そしてその後何のフォローをするでもない博文さん。3月のカーネーションのライブにゲストで出たときも、博文さんは確か「直枝くんとは同性愛だもんね」とか言ってた…。お客さんの50人にひとりぐらいは本気にして帰ってるかも、まあいいですけど。博文さん+知久さんの並びを見ると、ふたりが「去年ずっと一緒だった」舞台、「ドント・トラスト・オーバー30」にまつわる個人的な感慨があふれ出す。(それはまた別に書こう。)知久さんの劇中バンドの名前、「狂人の館」だったっけなーとか余計なことまで思い出す。

 

知久さんの歌をナマで聞くのは、そのドントラの舞台を除いては、初めてだった。博文さんとはまったく違うベクトルなのだけど、“その人でしかあり得ない”ところは、まったく同じ。個性的、なんて言葉じゃとても追いつかない、知久さんだけの音、声、空気。望遠鏡を間違って使っているような、推奨されないこんなやり方でものを見ている人がいるってことが、世界を変な場所に広げてくれて心地いい。そして、知久さんの弾くギターとウクレレが、巧いと同時に、まったくもって知久さんそのもの、という音しかしないことに驚く。博文さんのギターやピアノもそうだけれど、たぶんこの人たちは、ホチキスを留めるのも割り箸を割るのも洗濯物を干すのも、この人たちらしくしかできないんだろうな。MCで知久さんが去年のドントラでの博文さんについて、出演者の中で「一番ダラダラ」していて「あ、こんなに覇気がなくていいんだ~」と思った、という話が可笑しかった。知久さんと博文さん、ある意味ものすごい高いレベルでのダラダラの切磋琢磨かも…。

 

客席を奇妙な世界に陥れたまま、知久さんは舞台を下り、10分の休憩のあと、再び博文さん。あ…「Iron Rain」。この曲は、いつでも私を、冷たい雨が流れる窓の内側の、やわらかい空気の中に閉じ込めてしまう。そしてまた川口さんのサックスやリコーダーを迎えて数曲、私の大好きな「フェンス」も。アコースティックで、どこか遠い大地を渡ってくるような静かなアレンジが、余計にこの曲の狂気をにじませていた。どうして博文さんは、こんなに人を狂わせる歌を書けるんだろう。

 

最後に、ステージに博文さんひとりが残り、ハーモニカホルダーを首にかけながら、ポツリと曲の紹介をした。「リハーサルをしていて…、この曲は昨年の11月に死んだ山本浩美の歌だったんだ、と感じました」と。「風におどる」。オリジナル・ムーンライダースのVoだった人、「月夜のドライブ」を作った人、そして“雲をつかもうとしてる男”…だったのだね、きっと。去年渋谷のクアトロで慶一さん+博文さんの「煙草路地」と「月夜のドライブ」を聞いて動けなくなったときと同じように、私はまた、赤坂で、動けなくなった。

 

アンコールの拍手を受けて、再び現れた知久さんが演ってくれたのは、ミュージカル「ドントラ」の裏テーマ曲(?)だった「金魚鉢」。CDストアの高い天井を大音量で埋めるようなタイプの音ではないけれど、聞いた人に、間違いなくトゲのように刺さる歌。あの奇妙なサントラを、久しぶりに聞きたくなった。そしてラストは、真ん中にギターの博文さん、左にハーモニカ+ウクレレの知久さん、右にボーラン(っていうのかなあれ)の川口さん、「この並びは…なかなかないね」と博文さん本人が絶句するぐらいの言うに言われぬ印象の三人で、何と「晴れた日に」でした。このまったく見た目バラバラな三人の、出す音の素晴らしかったこと。博文さんのボーカル+知久さんのコーラスという意外な組み合わせが、とてもうつくしかった。

 

 

「次の予定はまだ決まってないんですが…『オチョーシモン・ザ・ナイト』も飽きてきたので、次は名前を変えるかもしれません。」と言い、そのあとボソッと「人は、変わりません。」のセリフで、客席の笑いを誘っていた博文さん。名前が変わっても、時代が変わっても、他の何が変わったとしても、そこにいて歌うのが鈴木博文という人であるなら、私はそこにたどり着こうとし続けると思う。彼しか持っていない何かを、私は必要としているから。そして、もしこの名前の下で行われるライブが最後だったのだとしたら、「オチョーシモン・ザ・ナイト」と、そこにあった音に、ありがとうって言いたい。