月夜のドライブ

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「moonridersの数名による二、三の事柄 『ムーンライダーズの夜』発売25周年記念 Talk & Live」 @ ニュー風知空知

9月に引き続きプレミアムなチケットが当たりましたカミサマありがとう…というわけで行ってきた「半分ムーンライダーズ」のトーク&ライブイベント!中野サンプラザで席が遠ーーーかったぶんこの日のラッキーをいただけたのか、整理番号も早く、遮るものナシの激近3名様のお姿…。まさか中野サンプラザの後、お目にかかれる機会が年内にまだあるなんて思ってもいなかった…。

 

201213 ファンハウス DSC_0916.JPG

moonridersの数名による二、三の事柄
ムーンライダーズの夜」発売25周年記念 Talk & Live
”短くも美しく燃え”た、FUN HOUSE 時代を語ろう!
2020年12月13日(日)
会場:ニュー風知空知
時間:開場18時10分 / 開演18時30分
ライヴ会場参加(限定25名):4,200円+1DRINK600円
出演者:鈴木慶一鈴木博文白井良明
スペシャルゲスト:松本篤彦氏(元 FUN HOUSE ディレクター)

 

今回はファンハウス時代を語るという企画で、当時のディレクターだった松本篤彦さんをゲストにお迎え。司会進行は小暮秀夫さん。個人的にはこのファンハウス時代は仕事が忙しすぎてムーンライダーズをリアルタイムで聴けてなかった時期なのだけど、いやもーとにかく、松本さんのあふれるほどのムーンライダーズ愛に感動しっぱなしのトークパートでした…。

 

95年からファンハウスと契約してCDを出すことになった経緯、そして97年にベスト盤『短くも美しく燃え』を最後にファンハウスを離れるまでのあれこれを、松本さんの貴重な資料と共に4人が振り返ってくれたのだけど、ほんとにレアな内容で…。レコード会社からバンドへの「最初にカバーアルバムを出す」という提案が95年の『B.Y.G. High School Basement 1』、そしてセルフカバーの『Le Cafe de la Plage』という2枚のアルバムとなるのだけど、当時のカバー曲候補のリストを松本さんが持ってきてくれていて。慶一さんが読み上げてた曲目、「真っ赤な太陽」とか「風をあつめて」とかホントにいろいろ。でも結局それらの候補曲は「左から右で(by慶一さん)」、全然違う曲をアルバムにしたと(笑)。でも松本さんはそれも「想定内でした」って笑ってた。その懐の深い感じが印象的だったなー。この日、こういうリストとか写真とか音源とかありとあらゆる資料を持参されて、話に合わせてファイルの中から次から次へと取り出される様子に、本当にムーンライダーズのことが好きで大切に考えていて今もずっと大切にしていてくれる、そういうディレクターさんだったんだなーということが伝わってきた。

 

ファンハウス時代の3年の中で、件のカバーアルバム2枚を出し、タイアップのシングルを複数枚切り(8cm箱用に作った宣材も見せてくれた)、フルアルバムも2枚出し、最後にベストアルバムを出し、ライブもインストアイベントもプロモーションもたくさんやりましたねと振り返ってた。野音の20周年ライブもあったし、「武道館でやる」宣言もしたし、アルバムを大瀧詠一さんにプロデュースしてもらう計画もあったと。カバーアルバムを最初に出そうと思ったのはどうしてですかと小暮さんに問われた松本さんが「(その前活動時期が少し空いてたので)動いてるムーンライダーズを見せたかった」と、タイアップシングルは「もちろんヒットを狙ってた」と、答えていたそれらの言葉にグッときてしまった。きっと担当してらしたあいだ、ムーンライダーズのよさを引き出すには、そして世間に伝えるにはどうしたらいいんだろう?とディレクターとして(も、いちムーンライダーズファンとしても)ひっきりなしに考えてあの手この手でトライを重ねていたのであろうことが、当時のお話や言葉の端々からずんずん伝わってきて、ひたすら心打たれてしまった…。

 

アーティストみんなそうなのだと思うけど、そばでこうやっていろいろ考えたり支えたりしてくれるスタッフがいてこそ、作品がより多くの人たちに届くし、アーティスト自身もよりよい作品を生み出すモチベーションを持ち続けられるのだろうなって。アーティストのよさを最大化するのに、松本さんのような存在がどれだけ大事か。そういう理解者に支え続けられた時間の連続が、ムーンライダーズの45年になってるのかなって思う。そのことをなんとなくはもちろんわかってるつもりだったけど、この日の松本さんを見てお話を聞いて、あらためてその存在の重さ役割の大きさを痛感してしまった。

 

しかし!良明さんも「バブリーだった」と3、4回言ってたけど(笑)、松本さんがプロジェクターで見せてくれた当時の写真も90年代前半の匂いがすごかったね!ファンハウスのビルの屋上にジャグジーがあったとか、バーカウンターがあって(ほんとはお酒飲んじゃいけないけど)学生時代にバーテンダーのバイト経験がある良明さんがカクテル作ってみんなで飲んでたとか、当時良明さんがプロデュースしてたTOKIOのメンバーがファンハウスのスタジオにレコーディング見学に来てたとか。たぶん今とは形も違う、メンバーみんなががっつりスタジオに入りっぱなしでプライベート時間まで一緒に過ごすような当時のレコーディング、楽しかったんだろうなーって、話を聞きながら思いを馳せた。

 

その一方で、振り返りの中で、『ムーンライダーズの夜』が出た95年というのが社会的にも大きな変動のあった年で、阪神淡路大震災があり、地下鉄サリン事件があって、それらの世相から「夜」というコンセプトが出てきて、6月にはくじらさんが巻き込まれたハイジャック事件があり、それがアルバムオープニングの「PRELUDE TO HIJACKER」~「帰還~ただいま~」になると…。ムーンライダーズが時代とがっつり四つに組んで写しとった「夜」の空気は盤にくっきり記録されて、25年後の今もアルバムをフルで聴くとリアルに立ち上がる。

 

トークパート序盤にそんな時代背景の話をしているとき、WEB電話をつなげてくじらさんがハイジャック時のエピソードを話してくれたんだけど、話もそこそこに、トランペットでクリスマスソングを吹いて「セッションしようよ、音合わせてよ!」と無茶ぶりするくじらさん(笑)。ええ~今~?とか言いながら良明さんは軽くギター乗せたり慶一さんはスキャット重ねたりして突如の数十秒のセッション、楽しかった!

 

もう第1部はとにかく貴重な資料と貴重な話だらけで書ききれないほど。極めつけは、プロモーションの一環でラジオ地方局のためにメンバーが作ったというジングルの音源。良明さんのラガマフィンVoが炸裂するジングル、あと慶一さんVoのスタイリッシュなジングル(曲は慶一さんかもしれないし岡田君の曲を慶一さんが歌ったのかもと)、すごいクオリティー!思わず慶一さんが「これリリースしない?」と松本さんに持ちかけてた。松本さん「音源は全部あります」と(制作者魂…泣)。わーぜひ!全部聴きたい!

 

結局トークパートが盛り上がりすぎて90分ぐらいやってたらしい(笑)。その後、休憩を挟んで第2部のライブ。(メンバーが出てきて演奏の準備してたとき、休憩中のBGMの『Le Cafe de~』の「G.o.a.P」に合わせて良明さんと慶一さんが軽く口笛拭いてたの、カッコよかったなーーーはぁと)

 

博文さんが「3人では難しい曲ばっかりやります」と言って始まったライブのセットリスト、こんなでしたドン。

 

1.僕はタンポポを愛す
2.僕は負けそうだ
3.冷えたビールがないなんて
4.BEATITUDE
5.春のナヌーク
6.HAPPY/BLUE'95
encore
7.LOVE ME TONIGHT
8.スプーン一杯のクリスマス

 

すごい、ALLファンハウス時代のナンバー!いきなりの「♪考えすぎなのは…きみも同じなんだ…」でうわーーーと!さらに次の曲あの「プゥ~ン」という独特のイントロのギターの音で卒倒しそうになった…。この博文ボーカル2曲連続はやばかったです…「僕は負けそうだ」の直枝さんパートを良明さんが歌ったのもすごくよかったなあ。アコギ(慶一)エレキ(良明)アコギ(博文)のギター3本だけでは難しそうなのにやっちゃった「冷えたビールがないなんて」とか「LOVE ME TONIGHT」、ザ・ロック魂でめちゃめちゃカッコよかった!あと個人的に普段そんなにいいと思わない(スミマセン)「BEATITUDE」なんだけど、この編成で聴くのすごくよかったなー、車にギター積んでルート66旅する男たちのラフな演奏みたいで。この3人の、サンプラーとかナシでのギタープレイで聴くと、ムーンライダーズの楽曲のゴリッとした部分があらわれ出るのかも。最後は「かしぶちくんの曲をやります」と「スプーン一杯のクリスマス」。いろいろありすぎた2020年、ムーンライダーズにも、私たちにも、メリー・クリスマス…!

 

 

前半トークパートに感動しすぎて後半の感想がやや手薄だけど(笑)、限定人数がもったいない、中身の濃いイベントでした!メンバーとスタッフのみなさん、とりわけ元ファンハウスの松本篤彦さん、貴重なお話と貴重な資料を惜しみなくありがとうございました!松本さん次回機会があれば、良明さんが言ってたお得意の実況中継の披露もぜひ…(笑)!

 

201213 ファンハウス DSC_0913.JPG

*開場してすぐに撮ったこの写真、左の鏡に小暮さんとたぶんエンジニアさんが、いい感じに映り込んでる(^-^)

 

201213 ファンハウス DSC_0915.JPG

 

(余談のちょっとした個人的メモ)

この日の話の中で、東芝EMIとの契約が終わった後、ファンハウスに決まる前に、ムーンライダーズがレコード会社回りをしたという思い出話があった。なんとメンバー6人「全員」で(マネージャーなしのメンバーだけで)、いろんなレコード会社の社長とか役員に会いに行ったそう。相手はびっくりするし何を話していいかわからなくてあんまり話も弾まないんだよね、と慶一さん話してたけど(笑)。

 

この話でパーッと記憶がよみがえったんだけど、私、90年代前半都会の会社に勤めてたときに、会社の入ってるビルの地下のモールをムーンライダーズのメンバー6人が揃って歩いてるのに出会ったことがあるんだよね。もちろんあまりにびっくりして口から心臓が飛び出しそうになったけど、でもこんなこと一生涯もう絶対ない…!と思って、ちょうど喫茶店に入ろうとしてたみなさんの最後方にいた博文さんに、超勇気を出して話しかけたんだよ…「ムーンライダーズ大ファンです…応援してます…」って。まあ実際はその頃忙しすぎてリアルタイムで追いかけられてなかったんだけど(笑)。博文さんは一般人ファンの唐突な出現に困惑しながらも「あぁ…ありがとう」とかなんとか答えてくれたような記憶。その遭遇事件が何年のことだったかちゃんと覚えてないんだけど90~95年のあいだのことなのは確かなので、もしかしたらそれはその行脚のときだったのかも…などと思った次第。当時そのビルの中にとあるレコード会社もあったし。ちなみにメンバーが入っていったちょっと謎めいた喫茶店は今もそのビルの中にあります。