月夜のドライブ

ラブレターバンバン書いて紙飛行機にして 宛てもなく空に飛ばすブログです。▶プロフィールの「このブログについて」をクリックで記事一覧などに飛べます。

EDO RIVERを漂いながら

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相変わらずカーネーション九段会館とその周辺をうろついてる、日常と私の思い。moonriders.netの中の鈴木慶一さんの日記(「鈴木慶一の暮らしの手帖」12/12付)を読み、またじーんとしてしまう。『カーネーションは3ピースになった直後も見たが、大変な勇気だと思う、今までとまったく違った楽器編成で音楽に取り組むという事は。そして骨太の音を紡ぎ出す、いいバンドという事をキープしている。』と。日本の音楽シーンで一番長くひとつのバンドを続けている慶一さんからのこの言葉は、カーネーションの3人にとってきっと何よりの賛辞だろう。メンバーこそ替わらないものの、この30年近く自分たちの求めるもののためにならいくらでも変化し続け、そのたび悪態つかれたり友だちなくしたりしてきたのがムーンライダーズだ。「続ける」ことのために、「変わる」ことを恐れ始めたら、それはもうロックじゃない。傷付いても泥だらけになってもどんなにカッコワルくても、転がる石であり続ける覚悟と背中合わせでしか、誰にも届かない表現の高みへと駆け登ることはできないのだろう。だから私は、ムーンライダーズカーネーションが好きなんだ。カッコワルくあがき続けてちっともスマートなんかじゃない彼らの泥まみれのロック魂が。

 

昨日今日あたり頭の中を駆け巡ってるのは「EDO RIVER」。あの華奢な身体の大野由美子さんが、ワイルドにシンセを操ってた姿が鮮やかによみがえる。実は私がカーネーションのアルバムをリアルタイムで買ってた覚えがあるのはこの前の「天国と地獄」までで、「EDO RIVER」は買ったかもしれないけれど当時聞きこんだという記憶がない。94年、そう、その頃私はもう個人的な音楽大空位時代に足突っこんでたんだな。今聞けば、名曲揃いのとんでもないアルバムなのにね。ほんと、こんなんでカーネーション好きと言うのは憚られるぐらい、ファンの風上にも置けない愚か者だけれども、でもそのずっと風下で、またこうしてふわりと巻き込まれることもできる、その自由さと懐の深さがカーネーションなんだ、きっと。

 

鳥羽さんギタリスト時代のカーネーションをナマできっちり追いかけられていない、そんな私だから、いろいろな人が「(ライブで)ない音をつい探してしまった」と振り返っている、5人から3人へのメンバーチェンジ時の「喪失感」は、想像するしかない。でも、それは痛いぐらいリアルに想像できる喪失感だ。その打つ手もなさそうなほどの底知れない不在を、小手先の技術や理屈で手当てするんじゃなく、ただ3人で音を鳴らし続けることで乗り越え、乗り越えるどころかとんでもないスリーピースバンドに成り変わるところまでカーネーションは疾走してしまった。なんてことだろう。

 

たった2年でそれだけのことをやらかして、そして21年目の記念碑的なイベントを迎えられたことを、本当によかったと思う。90年代半ばの多くのライブをサポートした大野由美子さんを迎えて、5人時代のカーネーション+大野さんで散々演ったであろう「EDO RIVER」を、喪失感の中でではなくロックトリオとしての揺るぎない自信とともに、九段会館の天井に放ったことが、涙が出そうに素晴らしいと思う。そして、それが痛みや苦しみの果てに3人が辿り着いた場所だと思うと、それを耳にする場に居合わせたことを、本当に貴い体験だったと感じるのだ。

 

*「EDO RIVER」カーネーション