月夜のドライブ

ラブレターバンバン書いて紙飛行機にして 宛てもなく空に飛ばすブログです。▶プロフィールの「このブログについて」をクリックで記事一覧などに飛べます。

フツウの人に届くうた

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去年とりりんに連れられて武道館に初めてキリンジソロを見に行ったとき(初キリンジはさらにその前の2002年「HAPPY END PARADE」ライブで、ソロではなかったのだ)、入場を待つ人波の中で私は何だかとても不思議な気持ちになったのだ。それは、このあいだの渋谷AXでも同じだった。「フツウの子が、こんなにたくさんいる」って。そこにいるフツウの子は、そう、昔の私でもある。

 

年のころは20代から30代前半が多いのかな。カップルもいれば、仲よし3人組もいるし、ひとりで来ている女の子も、ひとりで来ている男の子もいる。それぞれが、奇をてらわないけれどどこか個性的な恰好をして、楽しげに待ってる。オタクでもなく問題児でもなく最先端でもなく異端でもない「フツウの子」を、一度にこんなにたくさん見ることはめったにないから、びっくりしてしまうのだ。いや、正確に言えば、見ることがないのではなくて気付かないだけなんだろう。フツウの子は、ふだん街の中に上手に溶けこんでいるから。そしてフツウの子は、それがあんまり上手すぎて、ときどき、自分でツラクなっちゃうんだ。

 

街を軽やかに跳ぶだけの技術は持ち合わせてる。消費社会を適度に楽しむのに必要な賢さと愚かさの両方も。でも。刺激的な夢をきれいにパッケージして見せるメディアや流行と憧れをふりまくショーウィンドウや無料の出会いをうたう広告メールの真ん中で、ふと立ち尽くしてしまうことがある。みんなが自分のほうを向いて「あなただけに」「あなたのために」と連呼するけれど、誰も、自分の名前を呼んでくれてない、って。

 

そんなとき、きみに、私だけを抱きしめてほしくなるんだ。うたの向こうのきみに、ただぎゅっと、私だけを。「Drifter」は、そういううた。

 

渋谷AXで、泰行さんが「Drifter」を歌ってくれたとき、私は彼が私のために歌ってくれてる、と思って聞いてた。もちろんバカな勘違いなんだけど、たぶん、そのときそこにいた千何百人のひとりひとりがみんな、そう思いながら聞いていたんじゃないかな。それは、キリンジというアーティストが、大衆とか購買層とかっていう「数」に向かってではなく、目の前の「きみ」に向かって歌っているから。だと思う。100万人に「買われる」ために製造され出荷される音楽には、できないこと。

 

元・フツウの子の私も、今では歳相応の鈍感さとずうずうしさを身につけたフツウの大人になった。それでも、ときどき、自分の居場所が見えなくなるような、闇の中でハシゴをはずされてしまったような不安から抜け出せなくなることがある。「Drifter」はそんな私に、いつまでも、何度でも、寄り添ってくれるだろう。この世界に悲観的になったり嫌気がさしたり息切れしたりしながらも、やっぱり少しずつは前に進むことをやめられないたくさんのフツウの人々に、「Drifter」は、必要なうたなんだ。

 

*「fine」キリンジ

名盤すぎます。「Drifter」収録。