雑談。
元いた会社の上司だったAさんと飲む。会社辞めて以来、Aさんとサシで飲んだなんて記憶はないので、少なくとも13年以上ぶり。
Aさんは当時、私のことをとてもよくかわいがってくれてた人だった。まあAさんに限らず、あのころ私の上司だった人たちは、おおむね私をかわいがってくれてたけど。
飲みながら、近況や、思い出話なんかをしていたのだけど、Aさんが「あのころあの会社で俺がいっしょに仕事した*******(私の職種)って20何人もいたけど、中でもあなたはピカイチだったね」と言う。「やーそんなことないですよ。」「いや、それは本当にそうだったよ。」
そっか…。
最近になってから---つまり、会社を辞めて10年以上経ってから---、同じことを、何人もの人が、私に言ってくれるのを聞いた。Eさんからも、Tさんからも、Zさんからも、Mさんからも。もちろん、お世辞9割なのもわかってるけど。
あのころ、お世辞でもいいからそれを私に言ってくれる人がいたら、どうだったかな。会社を辞めてなかったかな。やっぱり辞めてたかな。
当時、会社を辞める寸前の私はコンプレックスだらけで、到底自分に輝きなんてものがあるなんて思えなかった。外資系のその会社の周りの子たちに比べて、私はどうにも垢抜けなかったし、能力もあるとは思えなかったし、はなやかでお洒落な世界にいつも違和感ばかり感じていて、ここには私の居場所はないな…と自分を見限って、会社を辞めたのだった。
でも、そこを突き詰めて考えると、やっぱりいちばんの原因は、自分を信じられなかったからなんだろうな…ということも、わかる。
私は水瓶座だからいつでも自分には最大の自信があるはずだし、どんなときでも自分を肯定して生きてきたつもりなんだけど、でも、あのころもっと、自分を信じて、自分をほめてあげてもよかったのかも。
いつも、人と自分を比較して、自分にないものばかりうらやんでた。人が持っていて自分が持っていないものばかり数えてた。「私だけの価値」を自分はじゅうぶんわかっていると思ってたけど、自分の評価だけでは、どうにも持ちこたえられなかった。…ってとこかな。
でもね。今も似たようなものかな、って、ふと思っちゃって。
私の価値、だと自分が規定するものを、私はどんどん「私だけがわかればいいや」という場所へ追い込んでいて、それはもう自分で評価するしかなくて。
自分で自分に必死に「それでいいよ」って言ってるだけなのかな、と思えてきちゃって。
ひどく悲しくなっちゃったんだ。帰り道、ひと気のない下り坂を降りてる途中。
こんなこと珍しいね…。珍しいから、まあ、こんなつぶやき、ここに置いとくのもいいか。
ま、明日にはすっかり元に戻ってると思うけど、ね。何しろあきれるほど自己肯定力の強い水瓶座なので。
それはそうと今日の待ち合わせ。Aさんから「新橋駅東口の交番前」を指定されてたんだけど、いざ新橋に降りたら、「東口」、ないじゃん!とりあえずSL広場の交番前で待ってみたんだけど、メールと電話のやり取りがかみ合わない。待ち合わせ場所、ナント「新宿駅」の間違いでした(笑)!(Aさん本人は新宿を指定したつもりで新宿で待ってた。)メール見直したけど、最初の約束のときも、今日の昼間の確認メールでも、Aさんしっかり「新橋」と書いてた(笑)。爽快ですらある見事な間違えっぷり。私がそこから新橋→新宿へと移動して、30分遅れで飲みスタート、でした。