月夜のドライブ

ラブレターバンバン書いて紙飛行機にして 宛てもなく空に飛ばすブログです。▶プロフィールの「このブログについて」をクリックで記事一覧などに飛べます。

『MOON OVER the ROSEBUD』、そのやわらかな言葉の爆弾

画像『MOON OVER the ROSEBUD』、この音をいちど聴いてしまうと、もう「ムーンライダーズの“30周年記念”アルバム」という前置きがむしろ邪魔に思えてこない? 彼らの30年がこの傑作を作りあげたことはたしかだけれど、売り文句としてそこに頼らなければならないような脆弱さは、どこにもないんだもの。彼らの年齢やバンドの歴史を冠としてかかげたり、逆にそのイメージとの落差や意外性を武器にしたりせずとも、ただ、2006年の今存在する音として、最強にして最高。30年が素晴らしいのではなくて、今、ここにいる彼らとその音があまりにも素晴らしい。彼らを飾る言葉、何も要らないと思う、この音の前には。

 

…と言いながらメチャ喋りまくってますけどね、私(笑)。ま、妄想と戯言の嵐を、世界の片隅でひっそり飛ばすの、許してもらおう。30周年だし。止まんないし。

 

ムーンライダーズが今年アルバムを出すと聞いたときに、「たくさんのゲストを招いてのお祭り的なアルバムになるのかな」と思ったことは前々記事に書いた。それは「30周年」という響きからくる自然な連想だったのだけど、私の浅い予想は、ご覧のとおり、見事に裏切られちゃった。届けられたアルバムは、そんな記念写真がおさまったフォトフレームみたいな「静的」なものとは程遠く、とんでもなく生々しくダイナミックに今を生きる音だった!もしかしたら、セールスプロモーション的には“30周年記念の豪華で素敵な小箱”のほうが、よほど売りやすかったかもしれないと思うんだけどね。ムーンライダーズ、やっぱりさっさと次の地平へ飛び出しちゃったよ。不安定も不均衡も引き受けて、限りなく転がり続けなければならない荒れ地へさ。まったく因果なほど、安定を嫌う人たちだ…。

 

そして、アルバムの仕立てに30周年のリボンをかけるのをやめた替わりに、詞のあちこちにひっそりと彼らの30周年への思いが(たぶん)こめられていて、おかげでいろんな箇所ですっ転びそうになるし火傷しそうになるし泣きそうになるしで、危なっかしくてしょうがない…。さすが、やることが文学青年なんだよなあ、もう。こんなふうに言葉の爆弾やわらかに仕掛けられたら、よけることもできやしない。

 

歌詞にまさに「moonriders」というワードが出てくる、かしぶちさんの「Serenade and Sarabande」。「夢 壊し」て「海の底深く沈んでいった」奴らを、30年以上も見続けてきた彼らの、「本当の船乗り」の自負と、「メロディ 絶やさない」覚悟。わかりやすい幸福と手を取り合うことよりも、やっぱり最後には「So-long」と言って「my happiness song」歌い続けることを選ばずにはいられない、ムーンライダーズってバンドの絶望と希望。バンドきっての色オトコでヤサオトコで(ま、それはどうでもいいんだけど・笑)いつもスタイリッシュなかしぶちさんの底にある、意外な意地とミュージシャン魂を見るようで、グッときちゃうのだ…。

 

「ダイナマイトとクールガイ」(『A.O.R.』92年)の続編だと言われてる「Cool Dynamo, Right on」の、「虹なわけがない/飛び散った 過去の鬼火だ Turn off」(もちろん79年『MODERN MUSIC』の「鬼火」から引いてるのだと思う)なんてフレーズにも、手にした財産をつねに潔く“ジャックの豆”と取り替えてきた彼らの無鉄砲な歴史を感じていとおしい。私のような妄想ファンのうがった視線だと、良明さんの「切なさも 絞り出して/苦しんで ど~よ!」って言葉だって、ムーンライダーズそのものに聞こえてきちゃうし。もちろん「Vintage Wine Spirits, and Roses」で、慶一さんに「76年来/仕草は 変わらない」なんて呟かれたら、あまりの切なさにその場で動けなくなる。

 

「Serenade and Sarabande」と並んで、あきらかにムーンライダーズのこと歌ってるってわかるのが、慶一さん作詞の「腐った林檎を食う水夫の歌」。「一番目のガイコツが(カリンバを弾いて)」…「六番目のガイコツが(ベースを弾いて)」…って(笑)。曲調は限りなく陽気で愉快なんだけど、ここで高らかに宣言されるムーンライダーズの思想の壮絶さに、やっぱり目を見張る。この人たちのあきれ返るほど蒼い精神、ここまでくると、ほんと過激だと思うよ。つまり「ハジキと 匕首どちらか/売りに出しても/サテンと 太鼓と果物/手放す事は無い」ということ。これって「薔薇がなくちゃ生きていけない」ってことだよね。

 

ハジキを売っても快楽は手放さない。いつでも胸には薔薇の花を。世間には「愚劣」って一蹴されそうな、そんな役立たずの夢に、本気で身を賭してるその本気度合いが尋常じゃない。ムーンライダーズの過激さは、いつも、ここにあるんだと思う。

 

だから、30年、続いたんだろうなって思うんだ。彼らにとって大切なものは、いつでも、金塊ではなく薔薇だったから。次の瞬間には散るだけのその花を、つねに胸の中で咲かそうとしてきたから。音楽って、そういうものだもん。つねに「瞬間」でしかない。音楽を、金庫や引き出しにしまっておける何かだと思った時点で、その本当のうつくしさは彼らの手を滑り落ちるってこと、この6人は痛いほどわかってるんだ。

 

もっと妄想を拡げればね、もう明け方も近いパーティー会場で「残ってるのは 林檎ぐらい」(「When This Grateful War is Ended」)と歌われた、その「腐った林檎を食」うつもりでいるのが、そのとおり彼らなんだろう、と。探し尽くされ、狩り尽くされて、もう黄金の果実なんかないこともわかっているこのロックという平野で、それでも自嘲ぎみに「腐った林檎」を引き受けていくこと。そこにしか、オレたちのうつくしさも宿らないんだという、そんな覚悟もね、感じてしまうんだ。

 

…なんて。勝手な妄想これだけ繰り広げては、涙をひと粒。人をそんな目にあわせる音もバンドも、そうはなくって。深読みさせることが不得手な世の中で、このムーンライダーズって存在の貴さ。世界にとっても、私にとっても、ね。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

『MOON OVER the ROSEBUD』を語るシリーズは、まだまだ続く、かも…。いやさすがにもういいか(笑)。でも、この5日間ぐらい、これを聴くことしかしてないしなー。聴くたびに驚きがあって、そのたびいちいち倒れてる。

 

 

『MOON OVER the ROSEBUD』ムーンライダーズ