月夜のドライブ

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福岡史朗&BOXCOX『SUN TIGER』

「ロックへのピュアな驚き」なんて幸福なものが、2005年のこの世の中にそう簡単には存在し得ないことはなんとなくわかる。「ロック・アラウンド・ザ・クロック」からもう50年、なんてこと数えるまでもなく、米国や英国から遠く離れたこの極東の島国においてさえ、CD屋の棚の中に、ライブハウスのチラシの束の中に、うんざりするほどの「ロック」の山、山、山。ね、今さら驚いたりなんかできるわけないよ。と思ってたらさ。こんなアルバムに出合っちゃうこともあるから、やっぱり、ロックに飽きるわけにはいかないんだ。泣けちゃうよ。福岡史朗&BOXCOX『SUN TIGER』。

 

レコードに針を落とした瞬間(ってレコードでもないし針でもないんだけど、そう表現したくなる質感のアルバムなんだ)、耳に飛びこんできたくぐもった音に、なんともいえない衝撃を受ける。1曲め、アルバムタイトルでもある「サン・タイガー」。私がこれまで聴いてきた音楽(たかが知れているけれど)のどれとも似てない、聴いたことのない音楽。ザラッとしているけれど素朴っていうのとも違うし、不思議な音なんだけど尖鋭的なわけではない、懐かしい匂いがするけれど懐古的でもない。つまりは、オリジナルなロック。そうとしか言いようがない。そしてこの実に奇妙な存在のこれが、ストンと私の中に入ってきたことにもビックリする。あ、私の中で、この場所って空いてたんだやっぱり、って。

 

空いていた場所って、それは、2005年の、しかも日本人の私には、空席のままでおいとくしかないとあきらめてた場所。うーん、うまく表現できないのだけれど、ものすごく乱暴に言っちゃうと、65年の人間が65年に『ラバー・ソウル』を聴いたときの衝撃、みたいなもの。実際、変な話だけど、『SUN TIGER』を聴いてすぐ思い浮かんじゃったのが、このアルバムの名前だったんだ。音が、というより、その立ち姿がね。ビートルズに詳しいわけじゃないから、まったく見当違いかもしれないことも承知で言うんだけど。

 

訳知り顔の専門家じゃなくたって、今では誰でも、「ある時期から後のロックは再生産だよ」と言う。「オリジナルなロックなんてないよ」と言う。まあそうなのかもしれないし、それでもまったくかまわないし、その中にあって倦まずに私たちを感動させてくれる音楽の貴さには変わりないと思ってる。昔の洋楽だけ聴いていればそれでいいやって人間でも私はないしね。半分あきらめぎみにではあるけれど、まあ常識なんだろうと納得してた、後世になればなるほどロックは創世期のロックの「解釈」にならざるを得ないってこと。善良な時代の無意識の破壊力は持ち得ないってこと。

 

でもさ。今はね、はっきり「違う」って言える。『SUN TIGER』に出合っちゃったから。常識くつがえされちゃった。冒頭に書いた衝撃、の内訳はたぶんそういうことだったんだ。ね、2005年の日本に生きる私たちが、こんな音楽を新譜として聴けるなんて。一足先に感想をしたためたけすいけさんが書いてるように、ジャケットは「テロンテロンで恐ろしく安っぽい」けど(笑)、この中に収められた15曲(15曲!)の持つ、重力の凄まじさったら。ほんと、引き込まれるとちょっと帰ってこれない。奇をてらった曲なんてひとつもなくて、むしろアレンジも演奏もオーソドックスだと思うんだけど、どこにもないオリジナルな歌ばかり。福岡さんのなんともいえず魅力的な声と、日常に風穴を開ける詞と、どっか微熱を帯びた感じのメロディ、それがひとつになって私を別の世界に連れていく。うーん、この感じ、言葉では説明しにくいけれど…。

 

ジャック達に引き続き、こんな素晴らしいアルバムに出合っちゃって、息も切れ切れって感じ。ほんとに、衝撃的と言うしかない。2005年の日本でこんな新譜を聴けるんだもん、65年の英国人や70年の米国人をうらやましがってばかりもいられないよね。ああ、音楽って素晴らしいな。

 

*『SUN TIGER福岡史朗&BOXCOX