月夜のドライブ

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86年、ドントラのライブ

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1986年の12月9日。私が初めてナマでムーンライダーズを見た日。場所は日本青年館、アルバム「DON’T TRUST OVER THIRTY」のレコ発ライブだった。そもそもどうしてこのライブを見に行く気になったのか、そのキッカケがどうしても思い出せない。ムーンライダーズというバンドは気になっていて、ラジオ番組のエアチェックなんかはしていたのだけれど、レコードを買うには至ってなかった。レコードを持っていないバンドのライブを見に行こうとは、普通思わないものだけれど、魔が差したんだろう。それから20年近くも私の中に棲み続けているから、相当運命的な魔物ではあったんだ。

 

チケット発売日に、ディスクガレージへの電話をかけてくれたのは母だ。私は大学の授業だかバイトだかがあって、その役をムリヤリ母に頼み込んだのだったと思う。帰宅してから、「なかなか電話がかからなかった」と文句を言われた。そのあとすぐの10月に母は死んでしまったので、私は、「じゃあ行ってくるね」という代わりに仏壇をチーンと鳴らすぐらいして、青年館に出かけたのだろうか。死んだ人が買ってくれたチケットでライブ(何しろ「live」だ!)に行くというのがずいぶん奇妙な感覚だというのは、初めて知った。まあそれが初めてで最後だろうけれど。

 

そのライブは私にとってすさまじい落雷だった。人生を変えたといってもいいぐらいの。許容量を超えた体験の詳細を人が語れないように、私の記憶は断片的だ。ただ、ムーンライダーズがそこにいたと。それから、直枝さんもいた、滋田みかよさんもいた、宙也さんもいた、野宮真貴さんもDARIEさんも本間哲子さんもいた。アルバム「DON’T TRUST OVER THIRTY」そのままの、華やぎと狂気の交錯するステージが、そこにあった。私は彼らの生の音楽と存在感にこっぱみじんにされ、バラバラに散ってそのまま、今も元に戻れないでいる。

 

鈴木博文さんが直枝さんをゲストに迎えて歌った「ボクハナク」。直枝さんを初めて見たのもこのときだ。息苦しくなるほどの「蒼さ」と「生々しさ」を、ふたりの歌から感じた。博文さんも直枝さんも、あのときから今も何も変わっていない。たぶん永遠に、蒼くて生々しいふたりのまま、それぞれがそれぞれの場所で馬鹿らしいことばっかりくり返して、引っかき傷だらけになりながら歌い続けるんだろう。そしてその情けなくてちっぽけな歌は、ちっぽけなくせに、彼らにしか届かない、世界のいちばん大切な場所に届く。

 

とにかくとてつもないライブで、私はすぐに1週間後の追加公演のチケットを買い、ライダーズのアルバムもその1週間で一気に買い集めた。年末ギリギリにあった、フジテレビのライブ番組の公録も行った覚えがある(そのときは何だか別スタジオですごく待たされたのだ)。その取りつかれたような勢いのまま疾走する他ない姿勢でいたら、梯子を外されるようにパタリとムーンライダーズは活動休止に入ってしまった。おかげで、私のその熱を帯びた慣性の法則は、そのまま博文さんのソロやカーネーショングランドファーザーズを追いかけることになったから、悪かったとばかりも言えないのだけれど。

 


本当に今気づいた偶然だけれど、「DON’T TRUST OVER THIRTY」このアルバムが発売されたのは、18年前の今日、11月21日だった。同じウェブリブログでblogを書いているカーネーションファンの一人静さんが、直枝さんつながりということで私がおススメした「DON’T TRUST OVER THIRTY」を聞いてくれたという記事を読んでうれしくなって、ドントラの、取るに足らないでも私にとっては底抜けに貴い、思い出話などをしたためてみました。 

 

*「DON’T TRUST OVER THIRTY」ムーンライダーズ