月夜のドライブ

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モダンスイマーズ『だからビリーは東京で』と、“不要不急”のこと

あまり演劇に詳しくはないので、モダンスイマーズという劇団のことも蓬莱竜太さんという気鋭の作演出家のこともまったく知らなかったのだけれど、そんな私にも今回の公演の評判が耳に入ってきていた(信頼をおく演劇人の方々---植本純米さんや山西敦さんや宮下今日子さん等々---が次々観に行った/観に行くとツイートしていた)のと、加えて、コロナ禍における小劇団のことを描いていると聞いて、がぜん観に行きたい気持ちが強くなってしまった。公演後半、チケットもほぼ売り切れかかっていたのだけれど、ラッキーなことにたまたまリセールチケットが出ていたのを買うことができて、行ってきた1/27(木)の昼回、シアターイースト。

 

『だからビリーは東京で』
モダンスイマーズ
日程:2022年01月08日 (土) ~01月30日 (日)
会場:シアターイース
作・演出:蓬莱竜太
出演:古山憲太郎、津村知与支、生越千晴、西條義将(以上モダンスイマーズ)/
伊東沙保、成田亜佑美、名村辰
チケット料金(全席自由・整理番号付・税込):
一般 3,000円
U25割引 2,500円
高校生以下 1,000円
当日 3,500円

長野から東京に出てきた大学生の凛太朗が、ミュージカル「ビリー・エリオット」に感激して自分も役者になりたい!と小劇団の面接を受けるところから物語は始まる。ずっと一緒に過ごしてきて二人で劇団も立ち上げた幼馴染の「まみのり」こと真美子と乃莉美、売れないホンばかりを書いてくる作演出家の能見、演劇への情熱は持ちつつ主体性には欠けている長井、自分と劇団の在り方に疑問を持ち始めている加恵、そして何にでも感激しやすく「わかってきた」「掴んだ」と思いがちなピュアな凛太朗。そんな劇団員の人間模様に、凛太朗の実家のアル中の父の問題なども絡みながら、物語は進んでいく。

 

稽古に飲み会にカラオケにとそれなりの楽しさと充実もあり、劇団員同士の連帯感や仲のよさもあり、でもどうしようもなく大きな裂け目も抱えている、“どこにでもある”売れない小劇団の日々を、芝居は丁寧に真摯に描いていく。ほんの短いエピソードや人それぞれの事情、その小さな一片一片が印象的に畳みかけられて大きな物語が見えてくるつくりがとてもあざやかだった。

 

能見の難解な脚本に噴出する不満、「まみ」と「のり」の意識のズレ、よりメジャーな活躍の場に軸足が移っていく加恵…。「あるある」と思える描写の数々は、笑えると同時にリアルさが刺さりすぎていたたまれなくなってしまうぐらい。その小劇団の問題は、私たちも自分が属する何らかのコミュニティでそれぞれに経験していることで、まったく他人事ではないのだ。でも、重い展開に傾くのかと思いきや、明るいユーモアが、とりわけ古山さん演じる長井の無責任な調子のよさと、津村さん演じる能見のダメダメクリエイターっぷりが大いに笑わせてくれてほっとできた。父子ふたりきりのやや緊迫するシーンに、凛太朗の父(西條さん)の素朴な訛り言葉が可笑しみをもたらしていたのもとても滋味があった。

 

彼らが見て見ぬふりしてきた大きな裂け目は、コロナ禍が襲ってきたことによってたちまち、そして決定的に、あらわになってしまう。夫婦同然だった男女の仲が壊れ、幼馴染の絆も壊れ、劇団員同士の信頼も消え、コミュニティーは壊れ、場は無くなり、なんとか踏みとどまっていた父子の仲も再び入ったアルコールがあっさりと壊してしまう。何もかもがあっというまに戻せない状態にまで瓦解してしまうさまに、登場人物ひとりひとりも、客席の私たちも、打ちのめされてしまう。

 

でも。でも。でも。ぼんくらなのだとしか思えなかった作家の能見が、きっぱりと言うのだ、最後に公演をやろうと。いや今からじゃお客も入らないし無理だよ、と言う団員に向かってさらに言うのだ、「お客はいなくてもいい」「自分たちのための芝居でいいんだ」「やる」と。

 

ここで、ボロ泣き。

 

芸術は不要不急なのか? お金を生まないものは不要不急なのか? お客を呼べない芝居は不要不急なのか? せめて、誰か人のために作る芝居なら不要不急じゃないのか? 自分のためだけに作る芝居なんて、誰も待っていない芝居なんて、言うまでもなく不要不急なのか?

 

いや、違う。違うはずだ。

 

コロナ禍に踏みつけられて社会も十分な豊かさやチャンスを提供してくれなくて八方ふさがりでどうしようもなくなっても、「どこかにたどりつきたい」という思いをひとしずくでもギリギリ携え続けて、自分のためだけにでも芝居をしようとする凛太朗や能見がそこにいるのであれば、そんな「あなたたち」がいることで、世の中は救われているんだ、と思う。そんな「あなたたち」のおかげで世界は未来に進むことができているんだ、と思う。芸術を、表現を、志す人がいることで、未来の扉は開くから。それは、間違いのないことなんだ。「あなたたち」は、不要不急じゃなくて、こんな混迷の時代でこそ大切でかけがえのない存在なのだ。

 

 

“自分たちの軌跡”を最後の芝居にすると決めた彼らは、冒頭の凛太朗の入団面接のシーンを繰り返す。冒頭で軽いクスクス笑いとともに見た場面が、たった1時間半かそれぐらいで、観客にとってまったく違った意味と重みを持ったシーンとして突きつけられるのは、衝撃的な体験だった。そして、「『ビリー・エリオット』に憧れて役者に」と、あぶなっかしいほどのピュアなセリフを繰り返す凛太朗の姿に、蓬莱竜太さんは希望を、彼がパンフの前書きで言う「優しさ」を、託しているのだと思った。どんなに社会に傷つけられて夢潰えそうになっても、もう一度、はじめから、「始めよう」と言えば、始まるのじゃないか。始められるのじゃないか。

 

そんなに簡単じゃないよ、現実がすべてだよ、という諦めが圧倒的に席巻しがちな世の中だからこそ、蓬莱さんは、モダンスイマーズは、ラストシーンを希望と共に眩しいほど輝かしく描いてくれたと思う。

 

 

コロナ禍からあと、芸術の・表現の受け手として、多大なる恩恵をもらい続けている者として、自分は何ができるんだろう、自分に何かできることはあるんだろうか、と考え続けている。『だからビリーは東京で』、私の中にまた大きな石を投げこんでくれたお芝居だった。波紋の中でまだまだ揺られ、考え続けると思う。

 

書ききれていないことがまだまだたくさんあるけれど、最後にひとつだけ、凛太朗役の名村辰さんのみずみずしい存在感あってのお芝居だったと思う。すばらしかったです。観られてよかった。劇団、役者、スタッフのみなさん、ありがとうございました!

 

 

東京芸術劇場サイトに掲載の、作演出家の蓬莱さんによるプロローグ

だからビリーは東京で
「とある劇団と、何かを始めようとした若者の話です」蓬莱竜太
不測の事態に自分の世界が突然変わる。目指すものがなくなり、向かいたい場所がなくなる。余裕はない。不要、不要、不要。不要の芸術、不要の表現。何かを変えなければならないのか。一月先のことがわからない。かつての世界に戻っているのか、いないのか。世界は突然変わる。その時々で変わる。たどり着いても、また変わる。自分は本当に不要かもしれない。自分は変わらなければならないのか。
表現は、自分は、本当に不要ではないのか。