月夜のドライブ

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『KOUSUKERA~ケラリーノ・サンドロヴィッチ舞台音楽2012-2024~』を聴いた!

ナイロン100℃『江戸時代の思い出』公演時に購入した、鈴木光介さんによるKERAさんのお芝居の劇伴集『KOUSUKERA』。やっとまとまった時間ができて聴いたらば、これが衝撃的にすばらしい珠玉の音楽の集積!ちょっとだけ感想を書いておこうかなと思う。

 

 

タイトルに「2012-2024」とあるのだけれど、個人的にこれが、自分がKERAさんのお芝居を(ちゃんと)見始めた時期とぴったり重なる。2003年に初めて2作品に足を運んだあと、10年ぐらいの時をおいて観たのが2012年の『百年の秘密』。これにいたくぶちのめされて以来、全部ではないけれどかなりのケラリーノ・サンドロヴィッチ作品を観続けて今に至る。私のKERA作品観劇歴は、鈴木光介さんの音楽に触れてきた歴史でもあるのだなあと。特にdisc2収録の作品(2021~)は、全部観てるしつい最近の観劇だしかつ意識的に観た作品ばかりでもあって記憶が鮮明。

 

ディスクを回して1曲目に配された「百年の秘密」が流れてくると、あの舞台の荘厳でそれでいて不穏な感じが記憶のすぐそばで甦って、鳥肌が立つようだった。“大オープニング”と言われるテーマ曲はどれもそう。小粋なストーリーの中へと手を取っていざなわれていくような「ベイジルタウンの女神」。ニーノ・ロータばりのイントロ~スリルもロマンスもスペクタクルも込みの目くるめく展開(まるでゴールデン洋画劇場のオープニングみたい!)に前のめりにワクワクさせられる「世界は笑う」。昭和の映画やドラマの中のカラッと晴れた空が思い浮かぶような「しびれ雲」。それぞれ、お芝居の内容と呼応して音楽のテイストも相当違うのだけれど、現実の世界からすうっと(あるいはぐいっと)別世界に引き込まれていく、演劇ならではのあの感覚がリアルに甦るのは同じ。

 

逆に、カーテンコールで流れたのだと思われる曲たちには、夢から目が覚める瞬間のようなあの感覚を思い出させられる。『ベイジルタウンの女神』の「エピローグ」は観客がみな上気した顔で拍手を続ける華やかな気分そのものだし、「イモンドの勝負は続く」なんか聴くとまだ半分非現実にいるような、帰り道ちゃんと歩いて帰れるかなみたいな気持ちになるし、「しびれ雲メロデイズ」には正月の娯楽映画を観たあとみたいな高揚感と安堵があるし、『骨と軽蔑』の「super seven's bow」はまさに舞台に並ぶ7人のスーパーな女優たちを見わたす優雅な楽しさに満ちているし!

 

『キネマの恋人』や『ベイジルタウンの女神』や『しびれ雲』など、ウェルメイドな(といってもKERAさんだから絶対に一筋縄ではいかず奇怪さも満載なのだけれど、それでもKERA作品の中ではウェルメイド寄りな)お芝居を彩る美しくスケールの大きい音楽の一方で、『ちょっと、まってください』とか『イモンドの勝負』とか、かなりトガッたほうのKERAワールドの劇伴は、音楽もトガッてて破壊的でカッコイイ。『ちょっと、まってください』(2017年)は観劇したときに芝居のわけのわからなさとKERAさんの果敢さにしびれまくった記憶のある舞台なのだけど、テーマ曲もその他の曲もあらためてカッコイイ。このCDの中には「何をどうするとそんな曲が作れるのか?」と思うメロディが結構あるけれど、「魂の重さ(21キロ)」とかその極北だ。だいぶ好き、かなり好き。

 

『ドクター・ホフマンのサナトリウム』の生演奏や、『しびれ雲』の主題曲(セリフ入り)や、役者のセリフの入った曲の数々など、このCDの随所に閉じ込められた“劇場の空気”も、聴いていて嬉しかった。

 

あとここで初めて知って驚いたのは、緒川たまきさんがかなりの曲数の歌詞を書いていること。しかも、『ドクター・ホフマンのサナトリウム』『しびれ雲』『眠くなっちゃった』といった彼女が出演している舞台の歌だけではなく、出演していない『Don't freak out』の歌の歌詞まで!このことを知らなかったので驚いたし、その歌詞がすばらしいのでさらにびっくりした。観劇時にとても感銘を受けた、あの『Don't freak out』の役者たちによる念のこもったような歌の詞は緒川さんの手によるものだったのか…。『しびれ雲』の挿入歌(山田参助さん歌唱)も、『眠くなっちゃった』の2つの歌(篠井英介さん歌唱)も、劇中ではラジオから流れてくる。この「流行歌」の歌詞が緒川さんはうまいなあと歌詞カードを見ながら感嘆した。人の夢と憧れを箱に入れてリボンをかけたような、美しくてシンプルで強い言葉たち。(KERAさんのお芝居はラジオが出てくるシーンが多いよね、私の大好きなシーンばかり。いつかここに注目した記事を書いてみたいけれど…。)『Don't freak out』の、わらべ歌のような唱歌のような2つの歌の詞も、記憶の奥底に眠る名もない感情を掘り起こしてくるような何とも言えない美しさがある。

 

それにしてもこのCDに収録された、15のお芝居のために作られた曲たちをこうして聴くにつけ、「なぜこんなにもバラバラなジャンルの曲を作れるんだろう」という鈴木光介さんへの畏怖と、「なぜこんなにもバラバラなジャンルのお芝居が作れるんだろう」というKERAさんへの畏怖が同時に起こってくる。いったいどんな音楽遍歴を積むと、(KERAさんのこれほどバラバラな作風にも平気で対応できる)鈴木光介さんのような劇伴作家が生まれるのだろうか?

 

この2枚組のCDには、曲ごとの演奏者クレジット/歌モノの歌詞/鈴木光介さんのセルフライナーノーツ/光介さんとKERAさんの対談、という大変に内容充実のブックレット(2冊組)が封入されていて、あっちをめくったりこっちを開いたりとっかえひっかえしながらありがたく読んでいるんだけど、その対談の中で鈴木光介さんが「アレンジが好き」という話をしていて、ここにひとつ鍵があるのかなとも思った。

 

「このジャンルの音楽(ロック、ジャズ、テクノ、クラシック…)が好き」でそのジャンルの音楽を極める、というのが私たちがわりとよく知るタイプの音楽家だ(と思う)けれど、鈴木光介さんはこのブックレットの中で、自分はトランペットを吹くけれどジャズミュージシャンではないというような話(大意)もしている。そういう、ジャンルを(あえてかたまたまか)固定しない音楽家KERAさんと出会ったことで、クラシカルなものからパンキッシュなものまで何でもありの、そして名状しがたい独特の肌触りをはらんだ、ほかのどこにもない特異な音世界が構築されるに至ったんだなと思う。なんという(作り手にとっても、そして私たち芝居の観客にとっても)幸福な出会い。

 

もうひとつ、(これもブックレットのいろんな箇所からわかる)芝居から要請される音楽への制約をむしろ楽しめる鈴木光介さんの資質も、幸福な出会いにおおいに貢献したのだろうと思う。例えば『眠くなっちゃった』テーマ曲のエピソードで明かされているように、芝居からの制約によってむしろ予想外のダイナミズムが音楽にもたらされることへの光介さんの喜びが、このCDのアタマから終わりまでずっと弾けまくっている。と同時に、芝居と呼吸を合わせながら、それとはまったく別個の音楽家としてのテーマやチャレンジも公演ごとに存在するんだということも(ブックレットから)知って、ますます敬意を感じたりもした。

 

(それにしてもこのCDで聴くことのできる、「ヨーロッパぽさ」とか「戦後すぐの感じ」とかをジャストに表現できる音楽性の幅広さや素養は、何をもって身につけたものなんだろう?というのは、鈴木光介さんに聞いてみたいことではあるけれど。)

 

 

『KOUSUKERA』。0分台とか1分台の、ヘンテコだったり壮麗だったり可笑しかったり深遠だったりする、それぞれに完成度の高い楽曲が2枚で69曲も詰まっている、おもちゃ箱のようなすばらしい作品。語り始めたら無限にいくらでも語ってしまえそうだけれど、まとまったしっかりした文章をと思ってたらいつまでも書き終えられそうにないので、何回か聴いて感じたことを書き留めたざっくり感想文だけど、とりあえず投稿。引き続きたくさん聴こうと思う!

 

【2024/09/20記】