月夜のドライブ

ラブレターバンバン書いて紙飛行機にして 宛てもなく空に飛ばすブログです。▶プロフィールの「このブログについて」をクリックで記事一覧などに飛べます。

カムカムミニキーナ『サナギ』 @ 座・高円寺

カムカムミニキーナの夏の公演『サナギ』。もう季節は秋に入ってしまって遅いにもほどがあるタイミングだけど、自分のまわりをぐるぐると漂う感想を、なんとか少しだけでも書き留めておこうと思う。まとまらないままだけれど、読みやすさ度外視で書きたいことを自分用にとにかく書いておく感想文。

 

カムカムミニキーナの公演は、他のやむを得ない用事がない限りは東京の初日と楽日は行くことにしていて今回もそのつもりだったのだけれど、たまたま前の日にあたってしまった2度めのワクチン接種の副反応(発熱)で初日は行けず。やっと行けたのが4日めの15日(日)昼回。それから21日(土)昼、東京千穐楽の22日(日)昼と、計3回足を運んだ。それから全公演が終わったあとのアーカイヴ配信も(時間が取れなくて数回だけど)観ることができた。

 

サナギ0815座高円寺.jpg サナギ0815ポスター.jpg サナギ0815入口.jpg

カムカムミニキーナ vol.71
『サナギ』
作・演出 松村武

▼公演日程
東京公演  2021年8月12日(木)~22日(日) @座・高円寺1
北海道公演  2021年8月28日(土)~29日(日) @道新ホール
奈良公演  2021年9月5日(日) @DMG MORIやまと郡山城ホール

▼出演
八嶋智人 藤田記子 亀岡孝洋 長谷部洋子 未来 田原靖子 柳瀬芽美 渡邊礼 福久聡吾 スガ・オロペサ・チヅル 栄治郎
松村武
大薮丘 秋山遊楽
坂本けこ美 内田靖子 齋藤かなこ 阿部大介 泰山咲美 山下ひとみ 山本ユウ

 

●過激

初めてこの『サナギ』を観た日にツイッターにこう書いた。 「『サナギ』すごいな、過激だ過激。あんなフシギなもの作ろうと思う普通!?(超褒め言葉!)」 「なんて過激なんだろう!」と。それが初回の第一印象。カムカムミニキーナのお芝居はいつでも「すっきりわかる」なんてことはなく、その「すっきりわからなさ」こそが良さであり持ち味なのだけど、今回の『サナギ』はもう、わからなさの自由度が過激なまでに増していたというか。

 

たとえば、どの時代のお話かということも、もう手放してしまっているんだ!と感じてびっくりした。カムカムのお芝居といえば過去と現在と未来が複雑に行き来することが多い(それだけでも十分面食らう)のだけれど、それでもこれまではまだ、「現在だと思ってたら過去だった!」みたいな驚き方で済んでいた。過去はあくまで過去で、未来はあくまで未来で、ループしたり絡まったりはしても、今いる場所は過去なのか現在なのか?と困惑する土台がまだあった。ところがこの『サナギ』ときたら、「時制?それ何ですか?」と言わんばかりに、過去も現在も未来も、そして過去とも未来とも判然としないものも、全部が普通にさりげなくそこにある。歪んでいるのか、絡まっているのかさえもすでにわからない。なんて過激な…!

 

そしてそれがカムカムらしいとはいえ、いつも以上に、はっきりした筋道がつかめるようなストーリーではない。時間軸にも因果関係にも沿わず脈絡なく展開していくから、役者さんたちよくセリフや出番を見失わずに動けるなと感心するぐらい(何を頼りに“現在地”を把握しているんだろ?)。逆に言うと、まっすぐ通った“ただひとつ”のストーリーがあるわけではないから、人それぞれどこに反応してもよく、その取っかかりは無数に存在していて『観客が50人いたら50通りの受け取る物語があるのではないか』と思った。伝えたいストーリーやメッセージを作り手が一方的に押し付けるんじゃなく、受け手がそれぞれ勝手に自分の物語を読む。松村さんの脚本ではいつも顕著なこのことが、『サナギ』ではさらに極まっていた。芝居を作り手側の手元に置いておかずに、観る側にそこまで開放するって、相当過激なこと!

 

何より過激と感じたのは、こんなわけのわからない、目にも見えない「何か」を、劇団員のチカラワザで、強力に舞台に立ち上がらせていたこと。とりとめのない、実体があるのかないのかも定かでないいわく言い難いものを、信じて、時間をかけて、全員の力で目に見えるものにして観客に差し出す。役者のリアルな身体と声と動きで、舞台上にありありと立ち上げる。これこそ、「現の器」である彼らにしかできないこと。こんな、掴みどころなさすぎてどう転ぶかもわからないあぶなっかしいこと(いや冷静に考えればそうですよカムカムの芝居)に身を投じたあげく、観客の目の前に、ずっしりと重みのあるリアルな何かを毎回イチから見事に立ち上げてみせる。そんなメンバーが何十人も集まっていることの凄さと頼もしさに、観るたび驚き打ち震えていた。

 

●なかったことにされた物語

開演前、席に置かれていた配役表の「ご挨拶」に、松村さんがこう書いていたのを読んだ。「今回の『サナギ』は、そういう感じで忘れ去られたかもしれない、珍しい動物のような作品です。(中略)うちの劇団は、いつもそういうことを目指しています。」始まる前になんとなく眺めていたこの言葉を、こんなにも痛切に感じることになるとは…。

 

初回に観たときは怒涛の内容に圧倒されっぱなしでそこまではっきり思い至らなかったのだけど、2度目に観たとき、ヒラフ(大薮丘さん)が半透明のヒルコを見えると言ったあたりでどばーと涙が出て止まらなくなった。古典の知識は殆どないけれど、私のカムカムとの出会いだった『ひーるべる』(2012年)で心に刺さっていた、生まれてすぐ海に流されたヒルコの話が、ぐわーっと記憶の中から立ち上がってきた。なかったことにされそうな物語を引っ張り出すんだこの人たちは、ベリベリときれいにかぶさったものを剥がしに剥がして、語られないまま思い出されることもなかったかもしれない物語をその身をもって語るんだ、そう思って涙が止まらなかった。スサ爺(松村武さん)が、(ヒルコがなかったことにされた理由は探しても無いかもしれないよと言うウズ婆に)無いなら「ヒルコをすくい上げる物語をでっちあげるさ!」と叫ぶシーンがあり、このセリフをまさに“松村武さんが言う”ことに痛烈に胸をつらぬかれた。この『サナギ』は、「なかったことにされた物語をすくい上げる」松村武さんの、カムカムミニキーナの、高らかな宣言なのだと思った。そう感じてから、ヒラフの台詞もウムギたちの行動もすべてが塊のようになって私の中に雪崩れ込んできた。カムカムミニキーナは、過去から賽の河原のように積み上げられた貝殻を、捨てられたものじゃなく“礎”だと、“道標”だと、見ることのできる役者の集団なんだと。きれいにならされた表層をベリベリ剥がして、なかったことにされそうな物語をなかったことにせずに語る、そう覚悟を決めた劇団なんだと。もう、カーテンコールで一列に並ぶ役者さんたちが眩しくて、涙で霞んで仕方なかった…。

 

●観客

キサガイさん、という謎の人物が登場する。舞台上でひとりだけピカピカした衣装で出てきて(稽古期間のブログで八嶋さんが「大阪万博のパビリオンの人なの!?」とこの衣装にツッコんでた 笑)、スサ爺により「未来人」でサナ湖の劇場の唯一の観客なのだと紹介される。田原靖子さん演じるこのキサガイさんが「ブラボー」と言いながら「そういうの全部芝居で見せてください」とか「そうじゃないとヒラフが死んだ意味が謎のまま残りますもんね」などと抑揚のない声でサナ湖の劇団員たちに高圧的に迫るのを、キャーコワーイなんて思いながら最初はひとごとのように見ていたのだけれど、「観客」とはつまり私たち自身のことか!?…と気づいてから、どんどん怖くなってきた。空疎な物語を求めているのは、観客自身なのかも、と。境界線で外界と隔てられた劇場の内側で、わかりやすいストーリー、謎が残らない筋書き、安心できる「意味」に満ちた物語、を役者に演じさせているのは、観る私たち自身なのでは?と。舞台の上の架空のはずのできごとが、急に今の生身の私たち側にあふれ出してくる。

 

それにしても、前回『燦燦七銃士』では内気で朴訥とした可愛らしい文学少女だった田原さんが、今回は前世からそうだったかのように威圧的で怖い人物をひんやりと演じていてすごかった。でも時々飛び出すヘンな感じもまさに田原さんで、キサガイさんの反復横跳び(からの坪井新庄のツッコミと諫めるスサジ)のくだり、めちゃめちゃ笑ったな~。こういう、本筋からすればどうでもいい数秒にまでみちみちに楽しみを詰め込んでいる腕前も、カムカムミニキーナを好きな理由。

 

●ヒラフとミミオシ

今回も、客演さんが全員よかった。特に、ヒラフを演じた大薮丘さんとミミオシを演じた秋山遊楽さん、初めから終わりまでずーっとよかった。これまでに私が観たカムカムミニキーナの公演で、客演の若い役者さんが対になるような形で出演したお芝居、『ひーるべる』(2012年)の若松力さんと金児憲史さんや、『G(ギガ)海峡』(2014年)の夕輝壽太さんと武田航平さん、どちらも衝撃的によかったことをありありと記憶しているのだけれど、今回の大薮さんと秋山さんもそれに匹敵するすばらしさだった。松村さんの話によるとミミオシは秋山さんが演じることになってから役割がどんどん大きくなっていったということのようだから、対と考えていたわけではなかったのかもしれないけれど。

 

今回の主役ともいえるヒラフ(…でも主役はサルタヒコとも日下ともスサジともナギとも、場合によっては猿渡ハルコと取る人もいるかもしれなくて、それも『サナギ』ならではの面白さだ)を演じた大薮丘さん。テニミュにも出演されている超爽やかなイケメンさんでありながら、「嘘の物語の外に出たい」という焦燥を、熱量を、切実さを、実直に泥臭く体現していて、ぐらぐらと揺さぶられた。カムカムミニキーナのお芝居のど真ん中で、屈託なく堂々と大きな役を演じている姿が本当にすばらしかった。大薮さんによってヒラフに思わぬ飄々とした側面が与えられたことで、このお芝居に想定外のドライブ感が出た感じもする。そして秋山遊楽さん演じるミミオシの、ふたつとない個性。野田秀樹さんのお芝居に多く出演している新進気鋭の役者さんだそうで(お初だと思っていたら私もNODA・MAP『逆鱗』で拝見していたようだ)、ふわっとした空気で放たれるセリフが弾丸のよう、観る側が無事ではいられない不思議な迫力が宿る。

 

このヒラフとミミオシが交錯するシーンが、永遠に行き違っているような、でもお互いの核心に踏み込んでしまっているような、可笑しさと痛切さがあってなんとも言えずせつなかった。嘘の物語の外に出たいと訴えるヒラフと、お土産は迷惑だと言うミミオシ。ヒラフとミミオシがまた出会うラストシーン。その意味合いをちゃんと受け取れているかはまったく自信がないけれど、大薮丘さんと秋山遊楽さんが舞台の端と端にいて言葉を交わし合うシーンがいつまでも心に焼き付いて離れない。もうこれだけで十分「受け取った」のではないかって気もする。

 

●正気の人たち

亀岡孝洋さんの快(怪)進撃が止まらない!『燦燦七銃士』でも山椒のような味わいを出しながら要所要所をきっちり押さえる仕事ぶりが際立っていたけれど、今回の『サナギ』の中で、四方八方へと好き勝手な遠心力をまとう物語の手綱を、その要にいてぐいっと取っていたのは亀岡さん演じる気のいい町の警官・坪井新庄ではなかったかと思う。どの時代のどの場所にいるのかも定かではないような人々の中で、坪井新庄と日下ゆかりん(坂本けこ美さん)だけが「正気」とも言える登場人物なのだけど、この二人がじつにじつによかった。この二人の確かさがあるおかげで、観る側も足場を見失わずに済むようなところがあった。カムカムミニキーナの芝居では必ず誰か(もしくは何人か)が担うことになる「語り」も、今回は亀岡さんの腕の確かさが光っていたし、にじみ出る何とも言えない可笑しみはもう誰にも真似できない亀岡さんだけの境地にあるなあと感動すら(「イノシシ」の電話とか絶品だった)!

 

ゆかりんも魅力的だったなあ。坂本けこ美さんは名前はうっすら知っていたけど初めて観る役者さんで、名前の印象だけからアクが強い役を演るのだろうと勝手に思っていたら、まっとうな人物で意表を突かれ、そして人なつこさとかわいらしさと関西弁の面白さも相俟って一気に引きこまれた!(それにしても『燦燦七銃士』でもそうだったのだけれど、亀岡さんの演じる人物は、一番モテなさそうなのにいつも一番恋の予感が漂うのがおもしろい。「ゆかりんさん」を「ゆかりん」と言い直すところだけでニヤニヤできた。)

 

●女優・八嶋智人

役者・八嶋智人の凄さにあらためて震撼とする『サナギ』でもあった。芝居の幕を切って落とす、日下伏目の第一声だけでそのことがありありと伝わる。真っ暗な舞台にパッとスポットライトが当たり、ピンク色のガウンに身を包んだ八嶋さんが勢いよくしゃべりだす、その声と姿が観客を引き寄せる力の強さったら!これこそが押しも押されぬ人気俳優の地力なのだなあ、こんな役者と一緒に芝居する若手は最高の喜びと圧倒的な絶望を同時に感ぜざるを得ないだろうなあ、などと思いながら観る。八嶋さん演じる引退した名女優の日下伏目、最初は隣の劇場に苦情を言っていたのが、いつのまにか境界線を越えて取り込まれていく感じがしんしんと怖かった。サルタヒコについていって「サナギ(鉄鐸)」を埋めることにだんだん喜びを感じるようになっていく表情としぐさの変化。震えながら「なかったことにされた子」について語り始める憑りつかれた感じ。まるでサルタヒコが乗り移ったように“半透明の有刺鉄線”を高く掲げる姿。すべてが強く、忘れられない。

 

それにしても日下伏目の造形。普通にメガネで短髪のいつもの八嶋さんなんだけど、ヘアターバン巻いて胸大きくて内股でほっぺとリップ赤くて、めっちゃ愛らしくて。坪井新庄とゆかりんとの「そばにうどん…」のやりとり、お腹よじれるほど笑った!

 

●役者さんたち

サナ湖のまわりをぐるぐると回るバスに乗っている、浮浪者とも神様ともつかないような彼ら。その名前は神話の神の名からとられているようだったけれど、着ているものはボロボロで、その境目も実は曖昧なのかもとも思わされた。崇められるか疎まれるかなんて、その時代の都合でしかないのかもしれないと。そんな奇矯な存在であるタケミ、ワカ、ホヒを、栄治郎さん、礼さん、聡吾さんが演じているところ、信頼がおけるしとても安心感があった。さまざまな危機を背負ってしまったナギの鋭さと哀しさを体現していた未来さん。まさに(裸をさらして踊って天岩戸を開けさせたという)アメノウズメの生まれ変わりのような「ワザオギそのもの」と思える藤田記子さん。さすがのひとこと。

 

いつも、実力よりもちょっと大きな役を担ってるように思える(から期待大なんだと思う)芽美さん、今回もとても重要な役どころ。3回観たごく個人的な感想なのだけど、3回目が、すごく心にキタ。たぶん、ぐんぐんよくなっていたのだと思う。ますます期待。いっそ八嶋さんに追いつき追い越しちゃえ。

 

今回の物語の中心人物ともいえるサルタヒコを演じていたのは長谷部洋子さん。登場してしばらくずっとお面の状態だったし、声をマイクで拾って変えるという技術を使っていた(最初はそうだとわからず録音したものを流しているのかと思った)ので誰が演じているのかわからなかった。難しいセリフをしゃべりながら難しい動きを軽々とこなすいつもながらの職人芸がもうカッコよくてカッコよくて。声もセリフ回しも男前なのだよねー。惚れ惚れ。

 

客演の内田靖子さんも齋藤かなこさんもよかった。齋藤かなこさん、お若いしパンフを読むとキャリアもまだ浅いようなのに、キサガイさんの言葉を信奉するエキセントリックなアコヤ役をすばらしく演じていた。内田靖子さん、小柄で華奢なのに声も動きもきれいでパンチがあって、舞台の端っこでモブをやっていてもつい見てしまったりした。「ウムギ」として舞台上を縦横無尽に入れ替わり立ち替わりしていたスガさんとアンサンブルの役者さんたちも、すばらしい仕事をしていた。貝を食べるシーンやヒラフの一生をなぞる演劇のシーン、ちいさな一場面に至るまで、観る楽しさに満ちていたもの。

 

そして最初にも書いたとおり、これだけの数の役者さんたちが、しかも劇団員だけでなく客演さんまでもが、目に見えない得体のしれない掴むこともできない何かを、自分たちの存在をかけて観客の目に見える芝居にしていることに、畏怖の念を抱く。これがカムカムミニキーナなんだな…。

 

●音楽と美術

いつもすばらしい土屋玲子さんの音楽だけれど、今回とりわけ心に響いた。サナ湖の劇団員が歌う「サーナギサナギ」というテーマ曲(「サンタモニカ」とか「サネカズラ」とか「サ」がつくいろんな言葉が呪術的に織り込まれてた…早く戯曲を手に入れて歌詞を知りたい!)や、湖畔にぽとぽとしずくが落ちてちいさな水紋が広がるような寂しげな音楽、キラキラした光のかけらを感じるような音楽。今もそれぞれの音が耳の奥で鳴ってるぐらい印象的だった。芝居を作るのと同じように、とっかかりは雲をつかむようだと想像されるカムカムの劇伴を、お芝居のイメージを捉えさらにその外側にまで広げていくような力ある音楽にする手腕、すばらしいな。

 

舞台美術は、真ん中に丸い窓の開いた大きな三角定規のような壁が立っているのを、数人がかりで手前に倒すと床と大きな穴になるという、シンプルな仕掛けひとつが本当によくできていて、とても感心した。美術としても美しかったし、芝居の中でうまく機能していて何度もへえ!と思わされた。劇場の小窓に見えていたものが、時には天岩戸の戸口になり、壁全体を倒すといろいろな物や人が出てくる穴になり(まるで穴の先がどこかにつながっているかのように見える芝居もまたすごかった)。壁の向こうに階段が組まれていて、日下伏目が坂の上から転がってくるなど舞台上の動きに大きな高低が出るのも面白かったし、骨組みがそのまま建物のように使われたり、とにかく無駄のない活用ぶり。その時々に手の空いているキャストが組になってよいしょと壁を持ち上げたり下ろしたりする動きも無駄なく計算されつくしていて見ていて楽しかった。総じて、カムカムミニキーナという劇団の特異な創造力と機動力をフルに引き出す美術(いつもそうだけれど今回特に)と感じた。あとこれは配信で観たときに初めて気づいたのだけれど、壁が立っているとき、長い辺のふちに照明が当たって、舞台上を斜めにスッと横切る光の線に見えていたの、とてもきれいだった。あれもきっと美術さんの頭の中で計算されていたことなんだろう、プロフェッショナルってすごい。

 

●新しい物語

カムカムミニキーナのお芝居はいつも破格に「すごい!大好きだ!すごい!」と思うので、じつは最新作を観るときに、前ほどそう思わなかったらどうしようという若干の躊躇がある。採点を少し甘めにしておこうかな~というような。特に前作の『燦燦七銃士』は、幕末スペクタクルの中で「役者」や「演劇」の存在と正面から向き合った、コロナ禍での問題意識の最前線だと思ったから、正直、さすがにあの大傑作を超えるのは難しいんじゃないかなと密かに思っていた。

 

ところが、『サナギ』。松村さんの視線はもう、さらに先へと進んでいるのだなと感じてびっくりした。真の表現者の意識は、最先端「だった」場所を足がかりに、誰よりも早くその先の未知の地へと分け入っていくのだなと思った。そこに連れていかれて、こんな場所があるのだなということを知って、ハッとした。松村さんが亀岡さんを聞き手に『サナギ』について赤裸々にあれこれ語るYouTube配信番組「サナダンギ」でも、その意識は披瀝されていた。いわく、強大な力への我々の闘いとしての「新しい物語を作っていかないといけない」(大意)と。その「新しい物語」の初々しい萌芽を『サナギ』に感じて、私は思いきりワクワクした。それは、多くの人が期待しているような「わかりやすいストーリー」ではないかもしれず、いや、そのわからなさこそを、混沌こそを、私たちが自信をもってなみなみと自分の中に湛えていくべきなんだと思う。わからないことの豊かさを、たやすく噛み砕けない世界の豊饒さを、大きく内に抱いて果敢に進むことができたら、行き止まりに思えがちな現在のその先が、私たちにも少し見えてくるのかもしれない。

 

松村武さんが感じる「今」や、カムカムミニキーナのお芝居が問いかけるものは、私自身が感じる「今」とあまりにもリンクしていて、その言葉やシーンのひとつひとつが私の内側の何かと共鳴し、大きく響き続ける。そんな大好きな劇団がそばにあって、その公演を観ることができるしあわせは、計り知れない。これからもずっと追いかけ続けていけたらいいなと思う。

 

--------------------------------------------------

 

松村武さんが公演本番のだいぶ手前から、進捗状況とともに思いや裏側を話してくれる「サナダンギ」。私はリアタイはとうとうできないまま、公演が終わってから一気見したのだけれど、ほんとうに松村さんの話は面白くてエキサイティングで、勉強になることばかり。ちょっとメモ、のつもりで裏紙に書き留めたのがビッシリ膨大な量に!こんなことなら最初から「松村ノート」作るんだった(次はそうしよう)。

サナダンギメモ_20210927.jpg

自分用に、リンクを。

【#サナダンギ】第1回 06/15(実際はまだ「サナダンギ」と命名される前)

【#サナダンギ】第2回 07/01

【#サナダンギ】第3回 07/30

【#サナダンギ】第4回 08/17

【#サナダンギ】第5回 08/26

【#サナダンギ】第6回 09/07

--------------------------------------------------

 

コロナ禍と今回の『サナギ』のことも、もっときちんと書きたいのだけれど、それはまたあらためて。とにかく今回もカムカムミニキーナは冷静で理知的な感染対策を遂行し、(運ももちろんあったとは思うけれど)第5波の厳しい状況の中、東京・北海道・奈良の全日程を完走してくれた。劇団員とスタッフのみなさんの困難をおしての取り組みに頭が下がります。すばらしい公演をほんとうにありがとうございました!

サナギサナT&パンフ.jpg