もうここのところずっと
気にかかってて
きもちが重たかったこと。
どう転んでも
いい話じゃないだろうことは
さすがにもうわかってる。
悪夢だってもう少し
救いがあるだろうな…と思う。
つらいよ。
それでも、
やっぱり
柴田さんのことは好きだけど。
何があったから、って
はいそうですかって
急に嫌いになんかなれない。
ほんとうのことは、
いまだによくわからないし
わかるなんてこと、ないのかもしれないな。
ある人から見たできごと、を
いったん誰かが事実と名づけたら
それはもう
ほかの視点や
人のきもちを置き去りにして
ひとり歩きを始めてしまうし。
"そうした記事の大部分は、一つの悪夢だった---奇怪で、いたずらに枝葉末節にとらわれ、どぎついが真実を語っていない。"(『グレート・ギャツビー』野崎孝訳)
今日読んでいて行き合った文章。
「関係者」だとか、「周辺」だとか。
中間にある無責任な言葉は
今はいっさい欲しくないな…。