月夜のドライブ

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“こんなことやりたいだけなんだ”

ジャック達一色進さんが、彼の好きな音楽のことを好き勝手に語るコーナー「ブログ的」で、The Zombiesのこと書いてる。 フレンズ・オブ・マイン/ザ・ゾンビーズ あいかわらずいい文章だなあ。

 

中学生のとき「Friends Of Mine」に参ってしまった一色さん曰く
「このゾンビーズの曲こそがオレをこの底なし沼に引きずり込んだ運命の1曲。」
そして
「思えばこの曲と出会ってから今まで結局こんなことやりたいだけなんだ。」
と。
ああ、そうなんだろうね。すごくよくわかる。まさにそうだもんね…、タイツも、ジャック達も。

 

一色さんの文章に突付かれて、『Odessey and Oracle』をトレイに載せる。「A Rose For Emily」「Beachwood Park」「Friends Of Mine」、この3曲が猛烈に好きなので、聴くときはいつもこればかり取り出してリピートしていたのだけど、ひさしぶりに1曲めからちゃんと通しで聴いたら、ああ、どれもすっごくいい。どの曲もほんとうに驚くようなメロディしてるんだな…。

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じつはこの『Odessey and Oracle』を手に入れたのはそんなに昔のことではなくて、このブログの最初のほうに、このアルバムを買って聴いたときの文章が残ってる。読んだら、私、いいこと書いてんだよな。(って自分で言うか…。)ま、一色進ほどじゃないけど。

 

サマー・オブ・ラブ”の時代が翌年にはもう次のブームに取って替わられようとしている、そのヒリヒリした空気をリアルに感じることは、30年後に生きる私にはできない。でも、だから、音楽っていいんだよね。だから音楽は常に「今」鳴り響く意味があるんだよね。時代と切実にわたり合いながら、同時に永遠に近い何かも求めようとする、その矛盾した闘いをしている音楽だけが、色褪せない輝きを持つことができる気がする。その時代の「今」とどこかで果たし合う覚悟を持ってないと、永遠なんか到底手に入らないんだ。

30年前のそんな音楽を聞きたいし、今のそんな音楽を今聞いていたいって、思ってる。

 

これ4年前に書いたんだけど、まるで、その後ジャック達に出合うことを予感してるような文章だね。

 

ゾンビーズがあれば、キンクスがあれば、ビートルズローリングストーンズがビーチボーイズザ・フーがバーズがクリームがあれば、もう新しい音楽なんて要らないじゃんって思っちゃいそうだけど、そこがやっぱり、そうもいかないんだよね。「今」の音楽が鳴り響いてこそ、世界は未来に転がっていける。やっぱり、ナマの振動に直撃されたいし、目の前で動いてる相手にドキドキしたいし、今きみが考えてることを聞きたいし、囁かれるなら吐息を感じながらがいいし、できれば、わかる言語で口説かれたいし。 だから私は、ジャック達を聴いてるんだなって思う。2008年には2008年の、そして日本には日本の、ゾンビーズキンクスが必要だから。

 

ちなみに、一色さんが文章の中で言ってるのとたぶん同じシングルを、私、持ってる。ちょっとウレシイ。私のはもちろんあとから中古で買ったものだけど。高校生のときね。A面「ふたりのシーズン」、B面がその、「フレンズ・オブ・マイン」。(あ、ジャケの日本語タイトルは「フレンド・オブ・マイン」って、単数形になってる!)

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そうそう、The Zombiesといえば、ここにも「Friends Of Mine」に参ってるミュージシャンがひとり。of Montrealの、いとしのケヴィンくん。03年のアルバム『If He Is Protecting Our Nation, Then Who Will Protect Big Oil, Our Children?』(タイトル長っげーよ!)で「Friends Of Mine」をカバーしてる。同じくThe Zombiesの「Care Of Cell 44」なんかも、ケヴィンは歌ったりしてるしね。たぶんケヴィンも一色さんのように、「結局こんなことやりたいだけなんだ。」って、ずっと思ってるミュージシャンなんじゃないかな。

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