月夜のドライブ

ラブレターバンバン書いて紙飛行機にして 宛てもなく空に飛ばすブログです。▶プロフィールの「このブログについて」をクリックで記事一覧などに飛べます。

”Do you believe what I sing now?”

画像今、weezerにどっぷり。ここ何週間も、なにかのついでにではなく、weezerを聴きたいがためにわざわざ夜更かしして、ヘッドフォンを耳に当てているほど。ボストンあたりに住むティーンエイジャーみたいに、朝から夜中までアルバムをフルボリュームでひたすらリピートしていて、こんなのってまったくどうかしてると思うけど。

 

これまでずっと、90年代の洋楽は自分からもっとも遠いところにある音だった。そんな私がどうして今ごろweezerに行きついたかは、またあとで書くとして。アルバムやシングルまで今一気に買い揃えている中で、でも、心は圧倒的にファースト『weezer(The Blue Album)』に持っていかれたまま、なかなか他のアルバムをCDトレイに載せられないでいる。

 

10代で出合うべき音、だよね。聴けば聴くほど、そう思う。こんな音楽がラジカセに入ってたら、他に何も持っていなかったとしても、それだけで10代をなんとかやりすごせるだろうな。青春って名の最悪の日々を、少しはましに乗り切れるだろう。フライドポテトやコーラをどんどん流し込むように、こんな音をただ無造作に毎日の空腹に鳴らせたら。

 

まあ、このアルバムが出た94年には、私はもう未来を無闇に思い描くのを止めるぐらいの大人だったから、weezerを青春のBGMにすることはどちらにしろかなわない願いだったけど。

 

でも、鮮烈な血がほとばしるほどの若く切実な表現が、個別の青春の終わりとともに価値を失っていくのじゃなく、同時にエヴァーグリーンな輝きをも手に入れて、こうやって青春のはるか外にある心をも奪うことがある。音楽が、そういうしたたかさと強さを持つことがある。The Beatlesを聴くのに「今さら」なんて言わないように、weezerを聴くのにも「今さら」なんてイイワケがましく言わなくても、たぶんいいのかもね。

 

轟音ギターに侵されながら気付くのは、青春をすっかり手のひらから失くしても、「青春みたいなもの」は心のどこかに残っていて、いつまでも疼くんだなってこと。まったくやっかいだな。そんな面倒さを飼ってるおかげで、今ごろこうやってweezerにハマれるわけだけど。

 

*『weezer(The Blue Album)』weezer