月夜のドライブ

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湾岸が彼らに伝えたもの

「ロック画報」カーネーション特集、昨日電車の中で読みましたよ。昼間の都営新宿線の青いシートで、乗り換えの調布駅のプラットホームで、何度もどっと泣きそうになりながら。ヤバいヤバい…。直枝さんのインタビュー、音楽との出合いから現在までをたった6ページで駆け抜ける!その1行1行の背後にある、直枝さんの「リアルな時間」の果てしない濃さと重さを思う。そして、大田さんインタビュー、グランドファーザーズからカーネーションへと巡る回想で、私のレーゾンデートルがまたしてもぐらんぐらん激しく上下動。あー、私の青春のすべてとは言わないけれど9割ぐらい、あるときたしかに、ここにあったのだ。えーーーん(わけもなく号泣)。まるで大田さんに弱みを握られてるみたいな動揺ぶり(笑)。いやーマジで実は私の青春のキーパーソンなのかなあ、大田さんが。あの遠方50メートルからでもそれとわかる存在感ありすぎのオジサンが。

 

もうちょっと冷静にマジメに言えば、カーネーション歴に致命的な中抜けのあるリスナーとしては、直枝さんとバンドが走り続けてきた長い時間を、ひと続きに俯瞰で見ることができたという意味でも貴重な特集だった。直枝さんやメンバーの思いと、時代と、表現方法が、こんなふうに絡み合ってその時々にこんなアルバムが生まれて、今に至っているんだなっていう、偶然でもあり必然でもある流れ。それを、私のような不熱心なリスナーでも窺い知ることができるってありがたい。

 

で、このカーネーションの特集を読んで、こないだ青山陽一さん+The SUZUKIライブを観たときや、野音ムーンライダーズのステージに直枝さん・大田さん・青山さんが立ったときに、感じたのと同じことをまた強く思った。つまり、「湾岸が彼らに伝えたもの」ってこと。

 

カーネーションや、青山陽一さんが、周りから見れば淡々とした調子で、(もちろんきっと大変な葛藤もしつつ、)したたかに少しずつファンを増やして、この音楽の世界で破れずに果てずに壊されずに、長く音を出し続けているということ。ファンがそれを受け取れているということ。それは、彼らの出発点がメトロトロンというレコード会社であったことと、きっと無縁じゃないんだろうなって。そう強く思ったんだ。

 

80年代の終わりに、彼らのデビューに関してメトロトロンがしたことは、いわゆるギョーカイ的な「プロモーション」という視線から見れば、地味なものだったと思う。まして、バブル渦中でありバンドブームまっ最中のご時世であったことを思えば。メトロトロンからレコード出したからといってカーネーションがテレビに出ることもなければ、グランドファーザーズがドラマの主題歌を歌うこともなかったし。(ま、ムーンライダーズ自体ねーからな!)スタイリストつけてファッションのコーディネートしたりも、表参道のビルボードアー写並べたりも、ハチ公前でミニスカのおネーさんにバンド名入りうちわを配らせたりもしなかったと思う。(しなかったんじゃなくて、できなかっただけかもしれないけど…。)

 

でもね。そんな、世間的には地味でパッとしない(←言いすぎ)デビューの裏で、彼らが、どれだけのベーシックで大切な何かを、あの湾岸スタジオで得たんだろうなって考えると、彼らのスタート地点が、地味でパッとはしないけれど音楽への飛び抜けて深い愛情がある場所・メトロトロン・レコードであったことは、本当によかったなって思うんだ。

 

音楽への果てしない愛と、その愛をもっともいい形で鳴らし、溝に落とす、クレバーでチャーミングな魔法。湾岸で、20代の彼らは、きっとそんなものを受け取ったんじゃないかな。そしてそれは、いつか朽ちるビルボードや時代に忘れられるファッションとちがって、永遠のものなんだ。ミュージシャンとしてのスタート地点で、そのうつくしい魔法を錘のように心の底に沈めたか沈めないかのちがいは、想像以上に大きいんじゃないかなって思う。15年以上前に湾岸で振られた杖は、今もまだ魔法の粉を、ミュージシャンたち自身や、リスナーに向けて、撒き続けてるのかも。

 

…と、まごうかたなき湾岸バカの妄想つぶやき。年がら年中こんなことばっかり考えてるなー、私。

 

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*89年『メトロトロン・ワークス』チラシ 行ったはずなんだけど、あまり記憶がないんだよな…。