月夜のドライブ

ラブレターバンバン書いて紙飛行機にして 宛てもなく空に飛ばすブログです。▶プロフィールの「このブログについて」をクリックで記事一覧などに飛べます。

「月夜のドライブ」とオリジナル・ムーンライダーズ

画像

作詞家の松本隆さんのサイト「風待茶房」がリニューアルされて、私はバカキュンのほうにひとつ、思い出話を書いたのだけれど、こっちでは、ずっと書きたかった、このBLOGのタイトルにもしている「月夜のドライブ」について、書いてみようかなと思う。思い入れが勝ちすぎて、たぶんうまくまとまらないこともわかっているのだけれど。

 

誰もが知っている、というわけではないけれど、哀愁を帯びた詞とメロディが心に残る名曲。作詞・作曲、山本浩美さん。「月夜のドライブ」をレコードに残しているアーティストは私の知っている限りでは(たぶんそれがすべてだと思うけれど)3組いて(※注 この記事を書いた2005年時点)、ムーンライダーズと、はちみつぱいと、ムーンライダース。全部同じじゃん(笑)と言われそうだけれど、最後に書いたムーンライダースは今あるムーンライダーズとはほぼ別物で、区別するために「オリジナル・ムーンライダーズ」と呼ばれたりしている。って知らない人には何が何だかわからない以上にどうでもいいことかもしれないけれど。このややこしさが70年代的でイイ、なんて思うのは私だけかな。

 

オリジナル・ムーンライダーズの演奏が唯一レコードとなっているのは、「1973.9.21 SHOW BOAT 素晴しき船出」。つまりはあの、あまりにも有名な文京公会堂のはっぴいえんど解散コンサートだ。このコンサートは、はっぴいえんどの最後のステージであったと同時に、はっぴいえんどのメンバーが、それぞれの新しい航路を披露した場でもあったそう。その中、松本隆さんの手がけていたプロジェクトが、ひとつは南佳孝さん(この日の一番手として登場)のプロデュースであり、それからこのムーンライダースというバンドだった。クレジットによると、メンバーは「山本浩美、鈴木順鈴木博文矢野誠松本隆」。うーん、ここで私、ばったりと倒れる。松本隆さんと、鈴木博文さんが、ごく短い時期とはいえ、ひとつのバンドにいたという嘘のような事実にね。私の青春時代にとって、この二人を超える詩人は、世界のどこにもいないから。

 

松本さんと博文さんのちょうど5つという年齢差は、たぶんその頃にはものすごく大きいもので、はっぴいえんどで一時代を築いた松本さんと、まだ高校を出たばかりぐらいの博文さん(既にあがたさんのバックで中津川フォークジャンボリーに出たり、「大寒町」があがたさんのアルバムに取り上げられたりはしていたけれど)の組み合わせに、私が今感じるようなインパクトが当時あったわけではないと思う。何しろ、本当に短い期間で消滅してしまったこのバンドの解散理由は、「ドラムの松本隆さんも、キーボードの矢野誠さんも忙しくなってきちゃってさ」(『火の玉ボーイとコモンマン』の博文さんの回想より)ということだったみたいだから。このバンドが自然消滅した後、「ムーンライダーズ」という名前は、そもそもの発案者だった鈴木慶一さんが、はちみつぱい後の自分のバンドに引き継いで、今も相変わらず生々しく存在してる。鈴木博文さんは慶一さんに誘われてそのムーンライダーズのメンバーになり、松本隆さんは職業作詞家としての旅に出る。

 

オリジナル・ムーンライダーズのナンバーって、その頃一体いくつぐらいあったんだろう?この「素晴らしき船出」に残っているのはたった2曲。松本さんと博文さんの関係に触れるなら、もうひとつの「ベイビー・カムバック」(作詞・松本隆、作曲・鈴木博文)のほうが適当なのかもしれないけれど、やっぱり印象的なのは、今もムーンライダーズによって歌い継がれている「月夜のドライブ」だ。松本隆さん、鈴木博文さん、鈴木慶一さん、そんな人たちの名前がかかわって30年以上も人の心を動かしているこの曲は、ロックのしたたかさの象徴のようにも思えるし、日本の音楽界をひっそりと照らし続けている月明かりのような気もして仕方ない。だから、私はこの歌に特別な思い入れを勝手に抱いてしまっていて、BLOGのタイトルにもさせてもらった。でも、本当は、こんなに思いの深い言葉を選ぶべきじゃなかったのかもしれない。何だか気軽な気持ちで書けなくなっちゃうから。それに、この歌の作者でありオリジナル・ムーンライダーズのボーカリストでもあった山本浩美さんは、一昨年に亡くなられてしまったそうだから、タイトル借用の断りを、天国にまで馳せ参じてしなくちゃならないという大きな宿題もある。いつになるかはわからないけれど、きちんと伝えなくちゃいけない。

 


…ここまで書くのに、実はものすごく時間がかかったのだけれど、やっぱり全然まとまらないね。この曲についてどんどんあふれてしまう思いに、私の筆力はついていけない。9.21文京公会堂のこととか、その後ずっとずっと時間を置いて、松本さんと博文さんの組み合わせで生まれる名曲、クミコさんの「やさしい娼婦」のこととか、書き出したら本当に止まらない。それはまた。

 

 

*「1973.9.21 SHOW BOAT 素晴しき船出」